春香 〜プロローグ〜
普通普通と言われ続けて16年。自分がどれだけ普通であるかはイヤになるぐらい自覚している。
毎朝TVでやってる星占いには一喜一憂している。小さい頃に神童と呼ばれた記憶も無く、今現在に至るまで突然何かの才能が開花したことも無い。小説になりそうな大恋愛や大事件を経験したことも無い。スタイルは……まぁ普通。ルックスも悪いとは思わないにしても、いいとも思わない。客観的に見てこれと言って特徴の無い顔は、初対面の人には10分で忘れられそうな気がする。
「春香って超普通だよね」
友達にそうからかわれた時、ムキになって「普通を超えたら普通じゃないよ」と言い返したら「その返し方も普通だよ」って言われた。成績は良くもなければ悪くもなく、よく転ぶことを除けば運動神経も人並み。誰にも言ってないけど、中学生の時はバスケ部の先輩に憧れもしたし、卒業式ではみんなと一緒に涙を流したりもした。好きなお菓子作りだって、趣味としては読書と同じぐらいありふれていると思う。家庭環境にもまったく問題は無く、両親の仲はいたって円満。もちろんそのことに不満なんて無いし、住んでる家も都内に出るには不便だけど結構気に入ってる。ワイドショーに出てきそうな騒音をたてるおばさんもいないし、近所付き合いもおおむね良好。回覧板を持って隣の家に行けば5分は立ち話をしてくる。隣のおばあちゃんは私のことを可愛いと言ってくれる貴重な人材だ。
そう、私---天海春香はそんなどこにでもいるような女の子だ。一言で言えば『普通』もしくは『平凡』。更に言えば『平々凡々』。そんな私は今、アイドル候補生なんてものをやっている。未だに大勢の前に出たことはないし、候補生になって1ヶ月と少々のペーペーではあるけど、芸能事務所に所属しているアイドルの卵の卵なのだ。
もちろんスカウトなんてされてない。ドラマとかでよくある「弟が勝手に申し込んじゃって」なんてありふれた展開ではなく、そもそも私に弟はいない。私が、私の意志でアイドルを目指し、アイドル候補生となったのだ。ホップ・ステップ・ジャンプで言えば、自らホップして、これからステップに繋げていこうとしているところ。正直、自分のことながら大胆なことをしたものだと、今でも信じられない気持ちはある。でも間違ったことをしたとは思っていない。どうでもいい話だけど、ステップとジャンプはともかく、”ホップ”って具体的にどんな動きなんだろう?
小さい頃から歌うことが大好きだった。人と比べて決して上手い方じゃないけど、好きなものは好きなんだからしょうがない。歌って不思議。文字にしてしまえばただの文章なのに、それをリズムに乗せて歌うだけでとっても幸せな気持ちになれる。落ち込んでも、歌を歌えばすぐに立ち直ることが出来る。嫌なことがあっても、歌を歌えばいつの間にか楽しい気分になってる。楽しい時に歌えば、もっと楽しくなる。歌って本当に不思議。そんな歌が私は大好きだった。
だからって、小さい頃からアイドルになろうと思ってたわけじゃない。小学校の卒業文集に書いた将来の夢は『ケーキ屋さん』だった(これも普通だ)。自分で歌うのが好きなだけで、人前で歌いたいとは思っていなかった。テレビの中で歌うアイドルを見てカッコいいとは思っても、自分がそうなりたいと夢を見たりはしなかった。私のような普通の子がアイドルになりたいと考えるなんて、それだけでも恥ずかしい。そう思っていた。
今の私はアイドル候補生であって、アイドルではない。事務所に所属はしているものの、私を担当してくれるプロデューサーさんがまだいないのだ。芸名をまだもらっていないのはいいとしても、レッスンを受けられないのはちょっと残念。今より上手に歌えるようになれば、私はもっと歌を好きになれると思うし、もっと楽しくなれるに違いないのだから。それに今の歌唱力のままでは……ゴニョゴニョ。
私が所属している765プロには私以外にも何人かアイドル候補生がいるけど、みんな素敵な子ばっかりだ。例えば最近友達になった(と私は思っている)如月千早ちゃんは歌の実力も歌にかける情熱も本物だった。私みたいに「歌が好き」なんてレベルじゃない。ちょっと思いつめてる感じもするけど、きっとデビューしたら一気にブレイクするのは間違いないと思う。実は千早ちゃんと一緒に歌えるようになるのが、私の密かな目標の1つだったりする。
一番スゴいと思ったのは最近入ってきた星井美希と言う子だった。ルックスとスタイルが抜群で(あれで中2!?)、でもそれだけじゃなくて……なんて言うんだろう。華やかって言うか、人を惹きつけるって言うか。あれで怠け癖さえなかったら、今すぐにでもデビューしてるんじゃないかと思う。とにかくアイドルになるために生まれてきた子、ってのは美希みたいな子の事を指すんだろう。
彼女達に引き換え自分は、なんてことは考えないようにしてる。だってそんなのは最初からわかっていたことだし、気にしてもしょうがないことだし。私は私。鏡を見ればそこにいる、この普通の女の子が私なのだ。
もともと歌うのが好きだった私は、よくテレビで歌番組を観ていた。他にもCDを買ったり友達から借りたりして沢山の歌を聴いていたけど、その中でも一番好きだったのはアイドルの三浦あずささんだった。あずささんが出る番組は全部チェックしてたし、ラジオも欠かさず聴いた。あずささんはキレイなだけじゃなくスタイルも最高(神様の不公平っぷりを思い知らされた感じ。いっそ清々しいレベルで)。とっても優しい雰囲気と素敵な歌声もあって、絶大な人気を誇っていた。彼女がTVで話した一言が、その翌日には流行語になっているとまで言われていた。正にトップアイドル。全てのアイドルの頂点に君臨していたと言っていいと思う。
そのあずささんが人気絶頂にも関わらず突然の引退宣言をしたのが2ヶ月前だった。衝撃の発表と同時に告知されたラストライブのチケットは、超を3つ付けてもいいぐらいのプラチナチケットになった。そんなチケットを奇跡的に手に入れることが出来たのは、もしかしたら運命だったのかも、なんて冗談半分に思ったりもするけど残り半分は結構本気。そのラストライブが、私があずささんのライブを生で観た最初で最後のライブであり、ドームのアリーナで過ごした2時半は一生忘れられない思い出になった。
幻想的に煌くスポットライト。ドーム中に響く歓声。渦巻く熱気。
ステージにはあずささんがいた。その歌声、ダンス、パフォーマンス、MCの全てで数万人のファンを魅了していた。ライトの光なんて関係なく、あずささんと言う存在そのものが輝いて見えた。マイクなんて関係無く、歌声が全身に響いてきた。ラストソング『9:02pm』が歌い上げられた時、ドームが震えたように思えた。スタンドやアリーナを埋め尽くしたファンは喉をからしながら声援を送り、手に持ったペンライトを振って、全身全霊で想いをステージの上にぶつけていた。
でもそんな周辺のファンの様子は全部”後になってみれば”だった。ライブ中、私の目にはあずささんの姿しか映らず、私の耳にはあずささんの声しか入らない。一瞬たりともステージから意識を離すことが出来ない。魂を抜かれていたと言うよりは、魂を鷲掴みにされていたと言った方がいい。目をそらすことすら許されない。数万人のファンを前に、絶対の存在としてあずささんは君臨していた。これで私と同じ人間なのかとすら思えた。声に酔いしれ、一挙一動に心が動かされる。ここまでくると宗教と言っていいのではないだろうか。そうするとあずささんは正に女神と呼んでいいのかもしれない。……いや、違う。これが”アイドル”なのだ。そんなあずささんの歌声に包まれながら、気付くと私は涙を流していた。感動? 衝撃? とにかく子供のようにぼろぼろと涙が止まらなかった。凄い。歌って凄い。アイドルって……凄い。
そしてライブ後、終電にギリギリで間に合った私は家路についていた。満点の星空の下、夜道を歩きながら私の頭は完全にさっきのライブに占められていた。ライブの興奮で身体の芯まで熱くなったままだった私は、その熱気に冷静な気持ちを焼かれてしまったのかもしれない。ずっと頭に浮かんで消えないままだったあずささんの姿に、どうかさせられてしまったのかもしれない。
『私もアイドルになりたい』
大好きな歌を、あのあずささんのように歌いたいと思った。期せずして「星に誓う」的なシチュエーションとなった帰宅の途中。夜道を照らす街灯はスポットライトとなり、頭の中に浮かんでいた数時間前のあずささんの姿は、いつの間にか自分にすり替わっていた。
それまでアイドルになろうなんて思ったことが無かった私は、アイドルになるための方法なんて知っているはずもなかった。かと言って街を歩いてスカウトされるのを待っていたら、それこそ日が暮れようが100年経とうがデビューなんて出来やしない。なら自分から事務所へ行ってみよう……と思い込んでしまったのは、今にしてみれば無知とは恐ろしいとしか言いようがない。本来であればオーディションを受けるとか、やり方はいくらでもあったはずなのに、あの頃の私にはそんなことを考える知識も余裕も無かった。
入りたい事務所は図々しくもあずささんが所属していた765プロに決めて、電話したその週末には面接してもらえることになった。これは後になって教えてもらったことだけど、765プロの高木社長はたまにやってくる無茶無理無謀な面接希望の女の子(例えば私みたいな)からの申し出も全て受けるのだそうだ。「手間を省く事で原石を逃してはならない」がポリシーらしい。今はあずささんの影響で仕事も大変だろうし、あずささんに憧れて765プロに入りたがる女の子(例えば私みたいな)も多いと思うのに、これは驚くべきことだと思う。いまや765プロは業界でも屈指のアイドル事務所なのだから。
週末までの数日間は、学校の勉強なんてほとんど手に付かない状態で過ごした。事前に送るように言われた書類のプロフィールや自己アピールの欄を必死に埋めたり、当日の流れを色々とシミュレーションしたり、自分の部屋で面接の受け答えの練習をしたりと、とにかく頭の中は週末の面接のことでいっぱいだった。両親にアイドルになりたい、と告げた時は驚くのではなく大笑いされたけど「まぁやりたいようにやってみれば」と許可(?)をもらえたからとりあえずはヨシとした。これは今でも釈然としていない。
面接当日の朝、TVの占いをチェックすると、おひつじ座の運勢は第5位で、コメントは『自分の力で道を切り開きましょう』。これではただのアドバイスだ。やはり自分で頑張るしかない、と緊張度は大きくなる一方だった。その緊張のあまり家でじっとしていられなくなった私は、約束の時間の3時間前に事務所に着いてしまい、近くにあった公園で時間を潰すハメになった。一応私としては持ってる服の中でも一番可愛いのを選んできたつもりだけど、はっきり言って自信なんてあるはずもなかった。時間が余るとついネガティブな考えが浮かんできてしまい、心が挫けそうになる自分と格闘したり葛藤したりのハードな3時間を公園のベンチで過ごし、私は再び765プロの事務所へと向かった。
事務所はテレビで見たことがある六本木ヒ○ズみたいなビルの中。玄関でいきなり折れそうになる心を奮い立たせるのに2分を要した後、思い切って足を踏み入れた。エレベーターで4階まであがり、事務所のドアをコンコンとノック。1秒おいてからドアを開けた。ここまでは一応シミュレーション通り。
「し、失礼しま〜す……」
「はーい」
半分覗きこむような体勢で顔を出した私に返事をしてくれたのは、入り口近くの席に座っていた女性。自分に向けられた笑顔に、私は頭の中が真っ白になった。シミュレーションのトレース、終了。
「765プロにどのようなご用件でしょうか?」
「え、えっと、私は今日面接があって……」
「あなたが天海春香さん?」
「は、はひっ!」
『はひ』て! 早速自分に突っ込みながら凹んでいる私に話しかけてきたその女性は、765プロの事務員さんだった。最初は所属するアイドルかと思ったほど可愛らしい人だったけど、制服や制服についてるネームプレートから私はそう判断した。
「申し訳ないんだけど、社長は今出かけちゃってるから、ちょっと待っててね」
なにやらパソコンに向かって作業をしていた事務員さん---プレートから”音無さん”だとわかった---は、フロアの隅にある打合せ用らしいスペースまで案内してくれた後、あったかいコーヒーまで出してくれた。そして席に戻るのかと思いきや、自分の分までコーヒーを用意して私の正面のソファーに座った。
「ふふっ、私も一休み」
「は、はぁ……」
たおやかに口につけたコーヒーカップを傾けつつ、私に笑いかけてきた音無さん。さりげなく組んだ足が嫌味が無い程度に色っぽかった。これが大人の女性と言うやつなのだろうか? 砂糖とミルクをたっぷり入れて、本来の味をなかったことにしたコーヒーを飲みながらそう思った。
色々と話題をふってくれた音無さんに対して、私は何を話せばいいのかわからず、曖昧な返事を返すことしか出来なかった。そもそも私は音無さんぐらいの年齢の女性(20代半ばぐらい?)と話す機会が少ない上にアルバイトもしたことが無いので、家族や親戚以外の”社会人”と話した経験がほとんどなかったのだ。
「あんまり緊張しないでね? 天海さん、可愛いから社長も一発OK間違いなしよ」
「か、可愛いですか?」
音無さんみたいな人に言われると喜んでいいのかどうか難しいところだった。音無さんの笑顔には私をからかってるような雰囲気は無かったけど、その言葉が本心からのものなのか読み取れるほどの人生経験は無かったし、その一言で自信が持てるようになる程私は自信家でもなかった。
「私、この事務所で働くようになってからそれなりに経つけど、アイドルになりたくて来るような子って『自分はアイドルになって当然!』みたいな子が多いの。もちろんそういう子はそういう子で可愛いところもあるし、実際うちのアイドルにも外では猫被ってる事務所内弁慶な子もいるんだけどね。とにかく天海さんみたいに初々しい子を見るとなんか嬉しくって♪」
これは褒められているのだろうか? と悩みどころだった。音無さんは褒めてるつもりなのかもしれないけど、あまりそういう気はしなかった。と言うか、部外者にしていい話なのだろうか?
その後15分くらい、私達はコーヒーを飲みながら雑談をしていた。途中で「これも面接ですか?」と聞いてみたら、「これは単なる好奇心」と音無さんは笑った。緊張が解けたわけじゃなかったけど、このわずかな時間の中で音無さんに対する好感度はかなりアップした。本当にいい人だ。
「それにしても社長遅いわねぇ。私はそろそろ仕事に戻らないといけないんだけど……あ、社長!」
音無さんが壁にかかった時計を気にし始めた頃、私が入ってきたドアの方を向いて大きな声を挙げた。びっくりして同じ方向を見てみると、そこには音無さんの声で気付いたのか、慌てた風に私達のいるスペースに近づいてくる男の人がいた。
「やぁ遅くなってすまない! 街にいるとついつい時間を忘れてしまってね! や、決して天海君との約束を忘れたワケじゃないんだが!」
走ってきたのか、軽く息をきらせたその人は多分お父さんよりも年上の男の人だった。黒いスーツ(スーツの種類なんてわからない)に身を包みつつ、ばつが悪そうに笑いかけてくる顔は、年相応と言うにはやや威厳が足りないようにも見えた。誰だろう、と思わず顔をまじまじを見つめてしまってから、さっき音無さんがこの人をどう呼んでいたのかを思い出した。
「は、初めまして!! 天海春香です!!」
慌ててソファーから立ち上がり、風切音がする勢いで頭を下げた。腰の角度は90度オーバー。
「遅れてしまって申し訳ない。私が765プロ社長の高木です」
「は、はひっ!」
社長だった。TVやマンガの中ではよく出てくる”社長”だけど、本物を見るのは初めてだった。もうこの時点で緊張度はMAX。
「じゃあ早速だけど話をさせてもらおう。音無君、会議室は?」
「空いてます。この時間で確保しておきましたので」
「ありがとう。では行こうか、天海君」
「はいっ!」
社長は奥にある会議室へ向けて歩き出した。私は慌ててソファーに置いていたカバンを手にとり、社長の後についていこうと歩き出す……と同時に転んだ。見事に転んだ。
(どんがらがっしゃーん!)
幸いテーブルの上にあった飲みかけのコーヒーは無事だったけど、そっちに気を取られていた私は体勢を立て直すことも出来ないままに転んだ。それはもう芸術的なまでに転んだ。
「あいったたた……」
心配して手を差し伸べてくれた社長と音無さんにお礼を言いつつ立ち上がるも、顔がどんどん熱くなるのがわかった。内心では穴があったら入りたいぐらい恥ずかしかった。穴が無かったら自分で掘りたいぐらいだ。何でこのタイミングで転ぶんだ、私は。緊張と恥ずかしさで泣きたくなってきた。
あとこれも後で聞いた話だけど、社長は今でも時間があれば街に出てスカウトを続けているのだそうだ。来る者は拒まず、通り過ぎる者は逃さず。そして共に行く者の手は離さず。面接に遅れたのも街で”原石”を探していたからだそうで、このフットワークが765プロの躍進の秘訣……らしい。
無駄に広く感じられる会議室で社長と2人っきり。ちょうど正面から向かい合える席が無くて、角の席で斜めに向かい合うような形になった。社長の手元には事前に私が送った書類が置かれていた。写真や経歴などが書かれたやつだ。
「さて、と」
音無さんに新しくいれてもらったコーヒーを一口、社長が私を見据えて言った。
「天海君」
「は、はいっ」
なんか今日はこの返事ばっかりだな、なんて思う余裕は無かった。何を聞かれるかわからないけど、この面接の結果で765プロに入れるかどうかが決まるのだ。緊張を押し殺し、内心気合を入れなおして社長と向き合った。
「とりあえず送ってもらった書類は見させてもらったよ。まぁこの書類は手続き上必要なだけで、特に重要なワケではないのだがね」
そう言いながらチラリと机に置かれている書類に目をやる社長。あんな書類を書くのは初めてだったので、一晩かけて一生懸命書いたのに……ちょっと傷ついた。そんな思いが顔に出ていたのか、社長は私を見ながら苦笑していた。私は慌てて顔を引き締める。
「せっかく書いたのに、と言う顔をしておるな」
「いえ、そんなことは……」
「確かに書類には色々な情報が書かれているし、君の経歴も一目でわかる」
姿勢を正すように身体をちょっと動かした社長は、両肘を机について顔の前で両手の指を組み、その向こう側から私を見据えるようにして言った。
「だがそれだけだ。文字などからでは何も伝わってこんのだよ。これではピンとくるものもピンとこない。だから私は常に直接会って、話を聞いてから判断するようにしている。天海君、単刀直入に聞かせてもらうよ。君はどうしてアイドルになりたいと思ったのかね?」
その質問に私は戸惑った。だってそれは書類に書いてあるのだ。確か私は『歌うのが好きだから』と書いたはずだったが、もしかしてあれでは文章が短すぎたのだろうか、と不安になった。
「それは書類にも書いてある通り、私は歌うのが好きで……」
「それだけかね?」
「それだけって……」
私の言葉を遮る社長の言葉が、更に私を戸惑わせた。私は嘘なんて言ってない。歌うのが好きだからアイドルになりたいと思ったのだから。ふと、小学生の時に職員室で怒られた時のことを思い出した。何を言っても怒られるような気がする、あの感覚。
「君にもアイドルになりたいと思った切っ掛けがあったはずだ。歌いたいだけならアイドルになる必要はあるまい?」
私がアイドルになりたいと思ったのは、歌うのが好きだから。決して嘘じゃない。でも歌は前から好きだったけど、前からアイドルになりたいと思ってたわけじゃない。アイドルになりたいと思った切っ掛けはまた別であり、それはもちろんあずささんのライブだ。ステージの上で歌うあずささんを見て、私もあんな風に歌いたいと思った。自分もあんな風になりたいと思った。あんなにも歌で他人を感動させられるあずささんみたいになりたいと思った。あずささんみたいに輝きたいと思った。大好きな歌で、自分も輝きたいと思った。あずささんのようなアイドルになりたいと思った。
ああ、そうか、と理解した。私は輝きたいのだ。歌いたい。輝きたい。この2つは気持ちは2つで1つ。歌いたいだけじゃなくて、輝きたいだけじゃなくて。歌が大好きだからこそ、その歌で輝きたい。そんな当たり前のことがやっと理解出来た。いや、頭の中ではわかっていたんだろうけど、今になって全てが繋がった。ストン、と胸にはまったような感じ。そのことが理解出来た途端、自分の中でアイドルになりたい気持ちが更に大きくなった気がした。それこそ溢れ出す勢いだった。そして溢れた。
「か……」
「……”か”?」
「輝きたいんです!」
社長が止まった。私も止まった。一昔前の表現で言えば、霊が通った。ドアの向こうから電話をしているらしい声が聞こえてくるぐらい、会議室の中は静かになった。あれは音無さんの声だろうか。さっきみたいな優しい声じゃなくて、仕事をしてるって感じのキリッとした声だ。やっぱり大人って感じがする。私もいつかあんな風になれるだろうか? ちょっと憧れるけど、アイドルになったらOLみたいな仕事は出来ないだろう……軽く現実逃避をしてみたけど現実は好転しない。何も思ったことをそのまま言わなくても、と思っても後の祭り。ああ、社長の目が珍しい動物を見るような目に。ストン、どころじゃない。ズドン、と落ちた感じだ。
「いや、その、これは、その、そうじゃなくて」
しどろもどろになりながらも、私は改めて自分の気持ちを説明した。その中で切っ掛けがあずささんのライブであることを告げた時、社長は誇らしそうな顔をした。どうやら社長にとってあずささんは自慢の娘のようなものらしい。嬉しいことを言ってくれるね、と顔を綻ばせた。その優しい笑顔を見て、この高木社長がどれだけあずささん達を、765プロのアイドル達を愛しているかがわかった気がした。
私の話が終わると、社長は「ふむ」と大きく頷いて、言った。
「合格だ、天海君」
「……はい?」
今までの”はい”とは違う”はい”。思わず学校の友達に対するものと同じぐらい素で聞き返してしまった。
「合格だよ、天海君。765プロへようこそ。今日から君はうちのアイドル候補生だ」
「……」
……えっと、と改めて社長の顔を見直した。笑顔だった。清々しいぐらい爽やかな自信に満ち溢れた笑顔。少なくとも嘘はついてないと思った。ってことは……え? え? 合格? もう? 何で? 何が?
そんな気持ちが顔に出ていたのか、社長は私に合格の理由を説明してくれた。
「私は君に会った。会って直接話を聞いた。その話からは君の真剣さが伝わってきた。情熱が伝わってきた。歌に対する愛が感じられた。歌で何かを伝えたいという想いが感じられた。喋りの上手さ、拙さではなく、とにかく君は”ピン”ときたのだよ、天海君。君はきっと素敵なアイドルになれる。そして我々はそんな君をサポートしたい。君を、ぜひとも、我が765プロに迎えたい」
最後は言葉を噛み締めるように、社長は私が合格したことを教えてくれた。諸手を広げてウェルカムでもする勢いで、社長からは熱意が伝わってきた。私の情熱を感じたと言うが、社長自身の情熱が漏れたのを感じただけじゃないのかとすら思えた。しかし、私を認めてくれたのは間違いないようで、それは素直に嬉しかった。ただ、それは真剣さとか情熱とか抽象的なものばかりで、具体的なものが何も無かった。それがやや不安に思えて、私はそのことを訊いてみた。
「天海君、私はもう長いことこの世界に身を置いている。その経験から得たものは、アイドルがアイドルであるために本当に必要なものはルックスやスタイルではない、と言う事だ。もちろんルックスやスタイルが優れているに越したことはないが、それだけで芸能界を生きていくことは出来ない。タイミングや運と言ったどうにもならなそうなものが絶対に必要なのだ。それらを引き寄せるのが情熱であり愛なのだよ。私は君にそれを見た。そしてそれらはそのままファンを引き寄せるための要素でもある」
後々になって思い返してみると、この時の社長は私のスタイルやルックスについて全く触れていなかった。あえてそうしたのか、偶然なのかはわからないが、タイミングを逃した後になってから改めて確認なんて出来なかった。この時の私は社長の言葉に感銘を受けて、細かいところまで気が回っていなかったのだ。まぁどうせルックスもスタイルも普通な私に対して、言うことは特に無かったのだろう……なんて考えるのは卑屈過ぎるかもしれないけど。とにかく社長の言葉に感極まった私の心は、完全に”決まった”。
「天海君、我々と一緒にアイドルのトップを目指そうじゃないか」
そう言いながら差し出された右手を、私は迷うことなく強く握り返した。
「はいっ! よろしくお願いしますっ!」
そうして私は765プロ所属のアイドル候補生となった。正式なアイドルになったわけではないけど、週に1度は電車で2時間かけて事務所に通うようになり、同じアイドル候補生である女の子達とも少しずつ仲良くなっていった。たまにお菓子を作っていくこともある。
あとこれは余談だけど、あの日の面接には続きの話がある。面接が終わった後、社長が思い出したように
「そう言えば天海君の歌をまだ聴いてなかったな。1曲ここで歌ってみてもらえるかね?」
と言いだしたのだ。ここまできてそうきますか貴方、と私は激しくうろたえた。伴奏無しで歌わされることなんてアイドルにとっては日常茶飯事だ、と言う社長の言葉には素直に頷けなかったけど、歌が好きを連呼していただけに引くに引けない状況でもあった。そして得意な歌を尋ねられた時、うっかりあずささんのラストライブを思い出してしまい、思わず「『9:02pm』なら……」と答えてしまったあの時の私が憎い。よりによってあの曲か、私よ。もちろん歌詞は全て覚えていた。でも歌詞を覚えていることと歌えることは全くの別問題なのだ。
その後のことはあまり思い出したくない。とにかく歌うしかない、と開き直った私は会議室で『9:02pm』を最後まで歌いきった。人間、無心になれば大抵のことは出来ることと、だからと言って結果は必ずしも伴わないことを知った。歌い終えた後の「なかなか個性的な歌声だね、天海君」とやや引きつった社長の笑顔と、会議室を出た時に「よかったね、春香ちゃん!」と祝福してくれた音無さん(会議室のドアのすぐ前にいた。いつの間に。仕事はどうしたのかと)のどこか不自然な笑顔。この2つの笑顔を、私はきっと忘れない。絶対に歌が上手くなってやる、と心に誓った。
今日は事務所へ顔を出す日だった。朝のTVで見た占いでは、おひつじ座は最高の運勢と出ていた。うん、なんかいいことがありそうが気がする。事務所で軽い雑用を終えた私は、意気揚々と近くの公園へと足を向けた。初めて事務所へ面接しにやってきたあの日、早く来すぎてしまって時間を潰してた公園だ。そう思うとなかなか思い出深いあの公園は、今の私にとっては大事な自主練をする場所でもあった。広くて人も少ないので、まだレッスンを受けられない私が練習するにはもってこいだった。公園へと向かいながら、私はアイドルになろうと決めた日のことを思い浮かべる。今は青い空も、あの時は星がきれいな夜空だった。本当のアイドルになれるまで、なった時、なった後もずっと、あの時の気持ちを持ち続けることが出来る自信があった。私は歌が大好きだ。これだけは譲れない。あずささんのライブは、私にとって文字通り人生の分岐点だったと思っている。
そう言えば私は765プロに所属してから幾度と無く、社長にあずささんが引退した理由を質問し続けていたのだが、つい先日になってやっと「絶対にオフレコだぞ、天海君」の前置きの後、話を聞くことが出来た。それによると、なんとあずささんは『運命の人』と結婚するんだそうだ。なんでも元々あずささんがアイドルになろうと思った理由も、その『運命の人』を探すためだったらしい。その純粋な気持ちから来る真っ直ぐさが、面接の時は熱意に感じられたんだ、と社長は苦笑いしていたが、その笑顔からは喜びしか感じられなかった。トップアイドルが人気絶頂にも関わらず引退したのだから、少しは惜しいと思ったり恨みがましい気持ちがあったりしてもいいのに。この話を聞いて、私はますます765プロが好きになった。
あずささんの引退はファンの私にしてみれば悲しいことだけど、結婚で即引退と言うのがいかにもあずささんらしい気がした。あんな素敵な人が見つけた『運命の人』とは一体誰だったのかが気になったけど、それは教えてもらえなかった。やっぱり芸能人なのだろうか。それも超大物だからまだ私には教えられないとか。残念ながら私が候補生になってからあずささんと会ったことは一度も無かったけど、もしそんな機会があったら伝えたいことがたくさんあった。ファンであることとか、私に切っ掛けをくれたお礼とか。あずささんがアイドル候補生だった時はどんな風だったのかも聞いてみたい。
そこまで考えてから、今度はあずささんを担当していたプロデューサーさんが、今どうしているのかが気になってきた。あずささんが引退したら当然あずささんのプロデュースは終了だ。その後はすぐに他のアイドルをプロデュースすることにしたのか、もしくは少し休養期間を置いたりして今は手が空いているのか。もしあずささんをトップアイドルまで育て上げたプロデューサーさんが私を担当してくれたら、私はあずささんのように輝けるのだろうか。普通な女の子である私がトップアイドルになる。それは想像するだけでもワクワクすることだ。
公園に到着した。今日もいい天気で絶好の自主練日和。早速いつものポジションへと移動し、気を引き締める。私を担当してくれるプロデューサーさんが現れるまで、私は自分だけで努力をし続けなければならない。それは結構寂しいことでもあったけど、自分の夢に向かって努力をしている実感があった。きっと本格的なレッスンが始まれば、もっともっと充実した時間が得られるに違いない。そしてそれはますます歌を好きになっていくと言うことだ。こんなに幸せなことはない。
本で覚えた自己流の腹式呼吸と自己流の発声練習。よし、今日は調子がいいかも。流石は最高の運勢、どんどんいこう。
「あ〜あ〜、ドレミレド〜♪ ちょっと音程、ずれたかな。もう1回!」
練習あるのみ。出来ればダンスの練習もしておきたいけど、ダンスは歌以上に苦手。試しにちょっと動いてみると、なんとなく足元に違和感があった。
「うーん、なんかこのクツ、歩きにくいなぁ。ああっ、私、スリッパで出てきちゃった!」
「……ぷっ! くっくく、あははは!」
後ろから響いてきた笑い声に、慌てて私は振り向いた。最高の運勢がこれから始まることを、私はまだ知らなかった。
<おわり>
もとぬきさんの同人誌に触発されて、身の程知らずに書いてみたアイマスSS第一弾。オリジナル設定だらけですがスルー推奨。春香は好きです。千早も好きです。美希も好きです。やよいも好きです。雪歩も好きです。真も好きです。あずささん、結婚して下さい。第二弾は20008年春発表予定。