2002.3.24 「夕美 〜You’re My Sunshine〜」編
加奈への腎臓移植を両親に反対された隆道。
果たして……。
病院の中庭でぼんやりしていた隆道。
考えなければならないことは山のようにあるのに、脳は全然動いてくれません。
あるのは加奈を失うかもしれないという焦燥感のみ。
「……藤堂君」
「夕美……?」
隆道の座るベンチの離れたところに夕美が腰掛けます。
でもお互い何も話さないまま時間だけが過ぎていくばかり。
「何の言葉もないの?」
「え……」
「私のこと、あれだけ弄んで、何の謝罪の言葉もないんだ」
「弄んでなんかいないだろ……」
「弄んだわよ。私がどれだけ傷ついたと思ってるの」
「……お互い様だろ」
「え?」
「おまえだって……俺の手紙の公開をみすみす許したじゃないか……」
「あれは!」
「自分でもわかってるんだよ、傷つけたってことぐらい! 悪かったよ! ああ、俺が悪かった! 好きなだけ罵ればいい。そうだ、大学にでも吹聴しろよ、藤堂は妹好きの変態だって、あの頃みたく言いふらせよ!」
「そんな……だってあれは……私のせいじゃ……」
「……知ってる。今の取り消し。忘れてくれ」
ひどく辛そうな顔をする夕美。
隆道は半錯乱状態です。自分で何を言ってるのか理解してるのかどうかも疑わしいぐらい。
夕美は全てを知っていました。
加奈の病状のこと。そして血の繋がりのこと。
夕美が医担当師の娘であることを思い出した隆道。
夕美に頼る
自力で考える
ここで夕美に頼る……果たしてどうなるのでしょうか。
娘である夕美から医師に助言してもらう?
それがどれだけ意味あることかわかりませんが、やってみるだけの価値はあるかもしれません。
とにかく、夕美がらみの選択肢である以上、これはエンディングに大きく関係していると見ていいでしょう。
今回は夕美に頼ります。隆道同様、俺だって藁にもすがりたい気分なんです。
痛烈に決別した相手に頼む。それも内容が内容だけにまともじゃないことは隆道もわかっています。でも。
ドナーのことも夕美が聞いていることを確認した上で隆道は言いました。
「ドナーになりたい。助けてくれ」
「……」
「両親を説得したい。検査を受けて、確率を調べて……何があっても病院側の責任は問わないって誓約書を作ってもいい」
「……」
「先生の方からももっと勧めてくれるよう、頼んでくれないか?」
「……それ、裏切った女に頼むこと?」
「何でもする」
「じゃあ、私と結婚して」
「わかった」
そう即答すると夕美は泣きそうな顔に。
「……迷いも……しないんだね、妹さんのことになると……」
「……他には? 何でも聞く」
「……じゃあ、一つだけ教えて」
隆道が頷くと夕美は言いました。
「どうして好きでもないわたしを抱いたの?」
「そ……」
その言葉に反論しようとした隆道ですが、夕美の視線に気付き、下手な言い訳が無意味なことを理解しました。
「たぶん……」
正直な気持ちを告げる隆道。
「おまえの仕種が、加奈に似ていたか−−−」
パン!
隆道の言葉が終わらないうちに平手をくらわせてきた夕美。
「最低」
「……」
「言いたいことは鬼のようにあるけどね……」
夕美はすっくと立ち上がって言いました。
「それで……なかったことにしてあげるわよ」
そう言ってつかつかと去っていた夕美でした。
後から医師に聞かされたことによると、夕美はちゃんと約束を守ったそうです。
夕美……辛かっただろうに、悲しかっただろうに……。
それでも夕美が約束を守ったのは加奈のためではなく、おそらくは隆道のためなんでしょう。
夕美の深い愛が……辛い。
数日後。
移植手術が行われることが決定しました。
絶対に移植を諦めない隆道に両親が折れた形です。
聞きたくはなかったけれども、ふと耳にしてしまった移植の成功する確率は、笑ってしまうほどに低いものでした。
手術当日の朝になっても平静な隆道。
加奈は……俺の臓器を受け入れてくれるだろうか。
そして隆道の健康チェック。
「……移植なのよねぇ」
「移植ですね」
「腎臓、なくなるの大変なんだからねえ」
「いやあ、腎臓でよかったですよ」
「どおして?」
「……これが心臓だったら、移植が成功しても加奈の顔も見られませんから」
「心臓なんて移植できないでしょー」
そう言ってぺしっと隆道の頭を叩く美樹さん。
「でも……あながち冗談に聞こえないから恐いのよねぇ。君たちの場合」
「そうですかね?」
「目がね」
美樹さんは隆道の目をのぞきこみながら言います。
「な、なんです?」
「目の色が違うでしょお、加奈ちゃんのことになると」
「それは……まあ……」
「でもね、隆道君のことをシスコンなんて悪口言う人がいたら、私がぶん殴ってあげるから」
「よろしく」
「まっかせて」
「それにしても……ミスマッチゼロか」
血液検査の結果、隆道と加奈のHLA型の六つの血液分類は完全に一致していたそうです。実の兄妹ではないにも関わらず。
その確率は数万人に1人。
ところでHLA型って何ですか?
そう思って調べました。やや簡単な解説ながらこんな感じだそうです。確かにこんな説明がゲーム中にもありました。
とにかく相当に低い確率で隆道と加奈のHLA型は一致したのです。これは奇跡に近いこと。
あとは……運を天にまかせるのみ。
隆道から腎臓が摘出され、それはすぐに加奈へと移植された……そうです。
その間、麻酔状態にあった隆道にはそれをうかがい知る方法はありませんでした。
ただ。
『いってきます!』
深く沈む意識の中、今まで一度も見たことがない元気な加奈がいました。
弾むような足取りで走っていく加奈の姿を何度も繰り返し見ていた隆道。
そして目の前に広がる大学の風景。
そこには加奈が立っていました。
手術が成功し、健康になり、好きなものを好きなだけ食べ、運動もできるし、大学にも通えるようになった加奈が。
素直に自分の気持ちを伝える2人。好きだ、と臆面も無く言える2人。
「……要するに、好きってことだ」
『ほ、本当に?』
「もちろん」
『じゃあ……じゃあね……将来、近い将来ね……』
恥ずかしそうな様子で、何か大切なことを口にしようとしている加奈。
その内容が隆道にはわかっていました。なぜかわかっていたのです。
なぜなら、この世界は……この夢は……。
ふと姿が霞み、そのまま遠くに走り去っていく加奈の後姿。
呼び止めても何も返ってこない。追いかけようにも動けない。
大声で叫びながら、いつしか周囲は暗闇に……。
くっ……、ふ……不吉な夢です……。
加奈のセリフの括弧が『』の時点で夢だとこっちはわかっていたのですが。
この夢の意味するところは一体……?
そして頭が覚めきらない内に目を開けた隆道が見たものは病院の天井。
「ICUに−−−」
ふと聞こえたのは鹿島医師の声。
それで手術が終わったことを知り、それで安心したのか再び意識は闇の中へ。
加奈への移植手術が終わってから3週間後。
ベッドに横たわる加奈には無数のチューブが繋がれていました。
1日の大半をうとうとと過ごし、たまに目が覚めても覚醒することはない加奈。
まるで加奈の関心は既に現世にないかのように。
あるいは魂そのものが。
厳重管理体制に置かれている加奈。見舞いも手軽に来られるような状態ではありません。
消毒を受けて、白衣を着て、それでもわずか10分程度。
隆道は既に普通に動けるようになっているのに……。
そして4週間目。
状況は何一つ変わっていませんでした。
隆道はもう日常生活に戻ることができているにも関わらず。
治る……んだよな、加奈?
7週間後−−−
「……ただいまー」
そう言いながら隆道がドアを開けると……
『お帰り、お兄ちゃん!』
血色のいいつやつやした顔をして出迎えてくれる加奈。
ってまた『』だよ……。
加奈にコーヒーを煎れてもらってくつろぐ隆道。隣には元気になった加奈が。
「なあ、これからどうするんだ?」
『これからかあ……』
「好きなように生きていけるんだぞ」
『うん、楽しみ』
「もうちょっと早ければ文化祭に行けたのにな。まあ、また来年があるけどな」
『そうだね、じゃあその時は……付き合ってくれる?』
「ああ、任せとけよ。けどその前に退院しないとな」
『ふふ……』
「退院したら、お祝いをしよう。パーティーってほど大げさなものじゃないけど、ごちそう作ってさ。な?」
『……ありがとう』
「これで、やっと人と同じラインに立てるんだな、加奈は」
『長かった、つらかったよ』
「ああ、ああ……もう大丈夫だ」
『退屈だった、悲しかったよ』
「わかってる。これから取り戻せばいいんだ」
『わたしね……』
「うん?」
『わたし……』
「なんだよ、言ってみろよ」
そして加奈は言いました。
『死にたくなかった』
長い沈黙の後。
「待てよ……待て、加奈」
焦る隆道。
その『認識』は自分を『現実』という檻に閉じ込めてしまうから。
そんなことを断じて認めるわけにはいかない。
『……』
「おい……消えるなよ……まだ返事が……」
『……』
「あの返事をしてないのに……っ!」
手を伸ばす……が、そこに加奈はいませんでした。
そして隆道は唐突に思い出したのです。
返事をしていないことを。保留にしたままの返事をまだしていなかったことを。
愕然とした思いで立ち上がった隆道の心が、聞こえない音を立てて施錠されたのでした……。
加奈は……加奈は…………。
そして…………心が囚われた隆道は……。
8週間後。
ひたすら部屋に閉じこもったままの隆道。
ただ病院からの連絡を待つばかり。好転の報せを。
そして数日後。病院からの連絡がありました。
それが幸いなことなのか、不幸なのか……隆道には判断できません。
ただ心にあったのは。
これで伝えられる−−−
その安堵のみ。
雲ひとつ無い晴天。
病室にはベッドにとりすがって泣いている母親の姿が。
そして美樹さんも。
ベッドには安らかな顔をして寝ている加奈。
「どうして泣いているんだよ、母さん」
隆道の声に反応もせず、母親はただ泣き続けるだけ。
「美樹さん、どうしちゃったんです母さん?」
「隆道君……」
よく見ると美樹さんの目にも涙が。
「今日の……三時四十五分にね……加奈ちゃんね……」
そこまで美樹さんの言葉は止まりました。口に手を当てて何かをこらえるように顔を背ける美樹さん。
泣いているところを見られたくないのでしょう。
そこまでは隆道にも理解できました。
でも何故泣くのか。その理由がわかりません。
「加奈」
そう言ってベッドの脇に立ち、加奈をゆする隆道。加奈は何の反応も示しません。
キレイで、穏やかな加奈の顔。
「加奈」
あとは起きるだけ。目を醒まして着替えて帰るだけ。
それで新しくて楽しい毎日が始まる。
さあ、起きろ。
いろいろなことが待ってる世界に。
何度も呼びかけ、何度も加奈をゆする隆道。
それでも加奈は起きません。
麻酔が効いているのか。だから覚醒しないのか。
鎮静剤を投与されているのか。だからこんなに身体が冷たいのか。
寒くて凍てついてるのか。だからこんなに身体が固いのか。
最早隆道の思考は……普通じゃありません。
「加奈」
「隆道君……落ちついて聞いて……加奈ちゃんは、もう……」
そう言って肩に乗せてきた美樹さんの手を、はねのける隆道。
「隆道君……?」
「……」
隆道は考えました。これはおかしい、と。
手術なんてとうの昔に終わっていて、麻酔なんて打つはずがなく。
移植が成功してから数週間以上経過していて、傷の痛みだって取れているはず。
だから。
加奈はもう治ってないと『いけない』はずだ、と。
「隆道君……ねえ隆道君?」
美樹さんや母親がしきりに話しかけてきますが、隆道の耳には届きません。
「そうか、わかったぞ」
どうもおかしいと思ったらそういうことか、と隆道。
加奈はこんなに青白い顔をしていただろうか?
あんな位置にほくろがあっただろうか?
そうとも、そうに決まってる。
「これは……加奈じゃない」
そんな判断を下した隆道が……痛い。余りにも痛い。
そう……隆道は………ある意味、気が○ってしまったのです。(←自主規制)
危ないところだった。あやうく勘違いするところだった。
母親がすがって泣いているもんだから、加奈なんだと思ってしまった。
先入観念というものは、実に危険だ。
気をつけよう。
無意味に冷静な隆道。それがまた痛い……。
そして『本物の』加奈を探し出す隆道。
「加奈……どこにいるんだ? 出てこいよ」
そう言いながらベッドの下やドアの裏、窓の外を探す隆道が痛い……。
何より本を取り出してページをめくりながら『万が一』なんて思ってる隆道が……激痛。
はっきり言ってもう見ていられないです。
加奈が死んでしまったことも悲しいですが、それ以上に隆道が……辛いです。辛すぎます。
唖然をして隆道を見つめる美樹さんと母親。
このどちらかが加奈なのでは、なんて疑いまで持つ隆道。頼むから……もうやめてくれ。お願いだよ。
「加奈ー、もう大丈夫だから、はやく出てくるんだ。な?」
そう呼びかけながら部屋の外まで探しに出る隆道。
その目的は1つ。
あの話をすること。
『返事』をしてやらなければいけないから。
ふらふらと病院内を探し回る隆道は中庭で夕美と出会いました。
哀れみのこもった表情で隆道を見つめる夕美。
「藤堂君!」
「夕美……」
「あの……私、聞いて……加奈ちゃんのこと……聞いて……」
「加奈が……いないんだ」
「いない?」
「おかしいんだ。探せる場所は全部さがしたのに……病院にはいないのか? 夕美は何か知ってるか?」
「どこって……」
「困った……家に連れて帰らないといけないのに」
「……藤堂君?」
「加奈はどこにいるのかな」
「藤堂……君……?」
1歩、後ろに下がる夕美。哀れみが恐れに変わって。
「加奈ー、おーい」
病院に向かって叫ぶ隆道。
今にも加奈が病室の窓から顔を出しそうな気がして。
「と……どう……君……」
い……痛ぇ…………。
しゃ、シャレになってないッスよ、これ……。
加奈を失って、隆道は自分自身まで見失ってしまったようです。
こんな隆道を救うのは……彼女しかいないでしょう。
その後は何をするでもなくだらだらと生活する隆道。
大学にも行かず、ひたすらに部屋にこもる毎日。
ふと1階に降りてくると食卓には両親の姿が。
「加奈は?」
隆道の言葉で空気が変わる。
ピンポーン!
食事を作ってくれると思っていた母親が玄関へと向かってしまったので自室に帰っていく隆道。
「……君」
ベッドで横になっていると聞きなれた声が。
「……君ってば!」
最近よく聞く声。はつらつとしていて、聞いてて心地よい声。
「ご飯食べるんじゃないの? 隆道君ってば!」
目を開けるとそこにいたのは夕美。
「あんまりふらふらしたら駄目だってば、食事は食事、寝るときは寝る」
「ああ……」
「ほら、お母さん、ご飯用意して待ってるから。みんなで食べよ」
「ああ……」
幼子のように手を引かれて隆道は立ち上がります。
そのまま食卓についた隆道ですが、その途端違和感が。
「……椅子が足りない」
「えっ?」
思わず聞き返す母親。
この食卓には父親と母親、夕美と隆道が座ります。
机を囲んで4つの椅子が置かれている状態で。
「一つ、足りない」
「母さん」
父親が慌てて手を振ると、母親が呼びの椅子を持ってきて食卓に置きました。
これでよし。
ほっとする隆道。ちゃんと、居場所は用意しておかないとな、と。
「……」
そんな隆道を悲しげな瞳で見つめるのは夕美でした。
食事も終わり、母親が食器をまとめると、すかさず手伝いを申し出る夕美。
「あら、いいのに……いつもごめんなさいね」
「いいえ、いつも勉強させてもらってますから」
どうやら夕美が隆道の世話をするのは『いつも』のようです。でもそれを隆道が理解してるかどうか……。
やがて洗い終わったばかりの茶碗をゴミ箱に捨てようとする母親を夕美が慌てて止めに入りました。
「お母さん! それ違う!」
怪訝な顔をして自分の手元を見つめ、そして苦笑する母親。
「鹿島さんには最近本当に助けられるわね」
「いえ……」
「最近、ずっとぼんやりしちゃってて……」
母親も、そして父親も当然苦しんでいるのでしょう。
加奈の死に苦しんでいるのは隆道だけではありませんでした。
いや、隆道が苦しんでいるのかどうかはわかりません。
単に『逃げている』だけなのかも……。
夕美に手を引かれて2階へと戻る隆道。
加奈の部屋は換気のために開けっ放しになっていました。
「……ここ、まだそのままになってるの?」
加奈の部屋の前で立ち止まった夕美がそう言いました。
「ああ……」
「良くないよね、そういうの」
そう言って加奈の部屋に入ろうとした夕美を必死で止めようとする隆道。
「や……やめろっ!」
「きゃっ!」
「駄目だ……そこは……駄目なんだよ…………」
「隆道君……」
隆道は夕美の前に立ちふさがります。本能にも似た思いで。
「……部屋を整理しようとすると、暴れるのよ」
騒ぎを聞きつけて2階にやってきた母親が夕美に告げます。
「ひどくなると錯乱するので、放ったままにしてあるの」
「錯乱……あの隆道君が錯乱……」
「駄目なんだよ……ここに手をつけたら……加奈が帰ってきた時どうするつもりなんだ……困るだろ、自分の部屋がなくなってたら……いくら入院してるからって……ひどいじゃないか……」
「……」
「もうすぐ、帰ってくるんだ……手術が成功したんだから、もうすぐ帰ってくるんだ……」
「……」
夕美が隆道の肩を強い力で引くと、隆道はよろけて廊下に尻餅を。
夕美はその隙に加奈の部屋の中へ。
「おい……っ!」
ドアが閉まり、そしてしばらくして夕美は出てきました。
厳しい視線で隆道を睨みつける夕美。
「……荒れ放題になってたよ……あれでいいの?」
「あ……」
「埃が積もってた。空気が澱んでた。きっと本とかも痛んでる。あんなんで放っておいていいの? 本当にいいの?」
「あ……え……」
「加奈ちゃんは……加奈ちゃんはもう…………」
感情に任せて夕美が何かを叫ぼうとしますが……
嫌だ……聞きたくない!
逃げ出して自分の部屋に駆け込む隆道。
「こらぁっ!」
何度もドアを叩き、声を上げる夕美ですが、鍵をかけたドアが開くことは無く、隆道は布団をかぶって無視するのみ。
「ばかーっ!」
隆道は……気付いているのでしょうか。
でも心がそれを認識することを恐れて逃げている……のかも。
そのまま眠ってしまった隆道の目が覚めたのは夜の10時頃。
水を飲もうと階下に降りていくと話し声が聞こえてきました。
「今まで、本当にありがとう……鹿島さん」
「いいえ、そんな」
「加奈の移植の時にお父様にもお世話になったが、娘さんであるあなたにもとても助けられました」
「いいんですってば」
そう言って自分の子供のような年齢の相手に(と言うか自分の子供と同い年だってば)頭を下げる父親。
「あれも、感謝していると思います」
「……」
『あれ』呼ばわりされているのは隆道でしょう。
「しかし鹿島さん」
「はい」
「私たちは、もう疲れてしまった……」
「え……?」
「義理とはいえ娘を失い、血をわけた息子までも……まるで悪夢のようだ……」
「そんな……隆道君はまだ……ちょっと混乱しているだけで……」
「昔から、妹離れのできない子供でした、あれは」
隆道は話題が自分のことであることは認識できていました。
でも自分の何が問題なのかは理解できません。
自分は当たり前のことをしているだけなのに、と。
「大切なものがあると、それ以外を切り捨ててしまうような……そんな危うさがあることは知っていたよ……しかし、それもまた美徳ではないかと思っていた……だから……だから……」
「……切り捨てる……そうですね」
それを聞いて胸が痛くなる隆道。
大切なものを守るため、より大切でないものを切り捨てる。そんな行動を自分は取ったことがある。
そのことは覚えている隆道ですが、それがいつなのか、となると思い出すことはできません。
それは加奈のために夕美を切り捨てたことを言っているのでしょう。
「しかし、これからはあなたの幸せを追ってください……」
「え?」
愕然とした表情で顔を上げる夕美。それを受け止める父親の顔はあくまで真剣な面持ち。
「縛られてはいけない。それでは、あれと同じです、鹿島さん」
「でも……隆道君は死んだわけじゃ……」
「死んではいないが……何も生み出さない」
「いつか回復します! もしかしたら……明日にでも」
「しかし、それは十年後かもしれない」
「……」
「だから……」
「……いやです……私、いやです!」
どこかで見たことがある光景だと思いました(俺が)。
そう、これは……「君が望む永遠」で遙が事故で意識を失った時。
遙の父親が孝之にもう来ないでくれ、と言った状況と酷似しています。
どっちも『痛い系』ですからね……。
「私、隆道君のこと……絶対に見捨てたく……絶対に……」
「鹿島さん、あなたは若いんだから、こんな風に時間を浪費してたら……」
母親までもがそんなことを。
でも夕美はあくまで反発します。
隆道に逃げて欲しくない。自分も逃げない、と。
隆道はそんな夕美が理解できません。
何故こんなにも自分を擁護してくれるのか。
俺はきっと、君にひどいことをしたというのに。
『きっと』……隆道の記憶は最早曖昧です。
そして父親が決定的な一言を口にしました。
隆道は病院に引き取ってもらう、と。
それを聞いて隆道はキッチンへと足を踏み入れました。
「あのさ……俺、どこも悪くないけど……」
「隆道君!」
隆道に集まる3人の視線。
「俺、病気なんかしてないから」
「あ、ああ……そうだな……」
「だから、病院に入る必要なんてない」
「わかった……わかったから、もう部屋に戻りなさい」
「おやすみ」
そう言って自分の部屋で逃げるように戻る隆道。
背後から流れてくる重苦しい空気で足が汚れてしまわないように……。
隆道はずっと家の中にいました。
外出しようとしても両親が色々と難癖をつけてきて外出を留めるのです。
常に階下から見張られているような感覚。
必要なものは言えば買ってきてもらえるでしょうが、隆道が本当に必要としているものは1つだけ。
それは決して店で買えるものではありませんでした。
自分で探さないといけない。
こっそり家を抜け出す隆道。
でもそこを探せばいいのかもわからないまま、どれだけ歩いたかもわからないまま、ただ彷徨うばかり。
「隆道君!」
「……」
夕美がやってきましたが、特に興味が湧くことも無く、すぐに別の場所を探そうと隆道は動き出します。
「待って!」
追いすがるように隆道の肩をつかみ、真正面から目を覗き込む夕美。
「加奈が……いないんだ……」
「……」
「どこを探してもいないんだ。しょうがない奴だ、こんなに探してるのに」
「隆道君……もう、やめよう……こんなの」
結局夕美に手を引かれて自宅に連れ戻される隆道。
……なんだろう、この手に引かれていると、安心する。
これは、とても大切なものじゃないかって、そんな錯覚さえ抱く。
俺にはもう、大切なものがあるのに。
「……みんなに心配ばかりかけて……勝手にふらりといなくなってみたり」
「ごめん」
「突然暴れてみたり、自分の部屋に閉じこもってみたり、一日中ぼーっとしてみたり……」
「ごめん」
「壊れすぎだよ、隆道君」
「……」
隆道は別に壊れてなんかいない、と思いつつも反論する気力もありません。
「さ、着きました」
2人は隆道の家に到着。
隆道の部屋にて。
「……私を振った時の隆道君は、もう少し格好良くて潔かったよ」
「……」
何も言われても隆道には通じません。
何故夕美が怒っているのか、その理由がわからないから。
「もう、駄目なのかな。もとに戻ってくれないのかな?」
「……」
「そんなんで、いいの……君は?」
「……」
「加奈ちゃんと一緒に、この世から消えるなんてできっこないんだよ、隆道君はこれからも生きていかなくちゃいけないんだよ?」
「……知ってる」
「知ってないよ! 適当言わないで!」
「……」
「加奈ちゃん、いくら探しても見つからないよ」
「……」
「見つからないって、知ってるくせに!」
「……」
「この……いくじなし!」
何を言われても黙っている隆道に夕美が殴りかかってきました。
目に涙を溜めて。
「いくじなし、いくじなし!」
「ぅ……」
両腕で頭を覆うようにして身も守る隆道を、むやみやたらに殴りつけてくる夕美。
「いくじなし、いくじなし、いくじなし……っ!」
「ぅぅ……」
夕美に殴られると、隆道は胸が締め付けられるように苦しくなります。
自分はいくじなしだとわかっていながら。
5分ほど続いた夕美の激情も徐々に弱くなり、やがてそれは嗚咽に変わりました。
「……もう……いいよ……隆道のバカぁ……」
ドアを開けて出て行く音。
それと同時に隆道の心の奥でわざめくものが。
(動け、動け!)
そいつはそう言います。でも鉛のように重い体は動かなくて。
(動け、今動かないと、見捨てられてしまうぞ!)
わかってる。わかってるけど動けない隆道。
(残されたたった一つのものまでも失ってしまう……それでもいいのか?)
そこでドアの開く音が。
「……風邪、引くよ……」
押入れの中から毛布を取り出して隆道の背中にかけると、夕美は再び部屋から出て行こうとしました。
(動け!)
騒いでいるのはずっと前に閉じ込めた自分自身の心。
(動け、この馬鹿! 戻れ、もとの藤堂隆道に戻れ! これは最後のチャンスかも知れないんだ!)
内なる声にせきたてられるように、隆道の口が動きました。
「……たすけ……て……」
何を助けてもらおうと言うのか。それは隆道にもわかりません。
でも口を突いて出たのはその言葉だけでした。
入り口のあたりで一瞬だけ夕美が止まりました……が、次の瞬間。
バタン
ドアが静かに閉まりました。
そして夕美が階段を降りる音が小さくなっていって……。
残された隆道の心にはまるで穴が開いたよう。
見捨てられてしまった。
それは当然だと隆道は思います。
こんな卑怯者は誰にも構ってもらえないものだから。
でも仕方ない、と隆道。
俺の心は、もう錠前がかかってしまっているからだ。
俺は加奈に、『返事』をしていないから。
それは決して砕けない。そうかたくなに思う隆道。
それからどれだけの時が流れたのか。
隆道の心は囚われたまま。病院に入れられることはなかったようですが、変化があったわけではありません。
キッチンで1人、食事を済ませると2階から物音が。
「まさか……」
誰もいない時間帯。父親ではない。机の上に料理が置いてあったから母親でもない。なら、なら……。
思った瞬間には駆け出していた隆道。
階段を駆け上がり、『KANA』をプレートの張られた部屋の前に立つ。
「帰って……きたのか?」
ドアを開けると……そこに。
「加奈……」
椅子に座って、向こうを向いている加奈の姿が。
「おまえ……どうして……生きて……?」
微妙な均衡を保っていた認識が、ぐちゃぐちゃに混乱していくのが自分でもわかりました。
これは一体どういうことなんだろう?
加奈が、加奈がここにいるなんて。
だって加奈は……そう加奈は……。
違う、俺は加奈を探していて……だって『あれ』は加奈じゃないから……病院のベッドで固く冷たくなっていた『あれ』は、断じて加奈じゃないはずだから……冷たい加奈には何も伝えられないから、ずっと保留になっていたあの返事を、俺はできなかったから……はかなくこの世を去る加奈に、送る言葉もかけられなかったから……死に目にさえ立ち会うこともできず……結局、俺のした移植は何だったのかって……無駄だったのか……ああ、でもここにいるのは加奈なんだ、帰ってきたんだ……そう、そうだ、俺はずっとこの機会が欲しかったんだ……これで……これで返事ができる。
完全に混乱している隆道。
加奈が死んでいると思っているのか、生きていると思っているのかもわからないほどに。俺の手が疲れるほどに。
「加奈……俺は……」
「おまえだけが大切で……ずっと……そういう風に生きてきたから……」
「だから……俺の気持ちは、ずっと昔から変わってない……」
「つまり、つまりな、俺が言いたいのは……」
「あのな……」
「わかってるよ、お兄ちゃん……」
窓を向いたまま、加奈は言います。
「大切に思ってくれてるって、知ってるから」
「ああ、加奈……」
ふらふらを加奈に近づき、背後からそっと肩に手を触れる隆道。
「だから、もう終わりにしようよ、隆道君」
そう言うと、加奈はゆっくりと立ち上がり、頭に手をかけました。
する……と流れる髪。
下から少し跳ねたような本物の髪が現れて……そしてゆっくりと振り返ったその顔は……
「……夕美……?」
わかっちゃいましたが夕美でした。
でも人物表記が『加奈』になってたからセリフ色も加奈色で。これはあくまで隆道の目で、耳で感じるストーリーなので。
「……」
神妙な顔でじっと隆道を見つめる夕美。
「加奈じゃ……なかったのか……」
「体格だって違うし、雰囲気だって違うだろうし……ただ、かつらをかぶっただけ。それだけなんだよ、私がしたことって」
「どうして、そんなことを……」
「そんくらい、君の目は曇っていたってことだよね」
「……」
意識がまた暗く深い場所に沈んでいきそうになり、1歩下がる隆道。
「また逃げる気?」
厳しい口調でそう告げる夕美。
「もう……逃げるのやめにしようよ……」
「妹さんがあんなに強く生きたのに、お兄ちゃんがそれで……どうするの?」
「加奈ちゃん……もう死んだんだよ」
「……何言ってるんだよ……そんなことない!」
むきになって怒鳴った隆道を、夕美はもっと声を張り上げながら胸倉を掴んできました。
「私……最初はあのコのこと嫌いだった……ううん、今でもそんなに好きじゃない! だって兄妹同士なんておかしいもん! だけどね……だけど……あのコ……強くなったよ……すごくすごく強く……それだけは……本当にすごいことだと思うよ! もし、加奈ちゃんが隆道君とは違う家の子供で、ちゃんとまっとうに隆道君にアタックかけてたら、私降参しちゃうかもしんない。そんくらい良い子だったじゃない! 守ったじゃない! 大切にしてたじゃない!」
隆道の耳が痺れるほどの大声でまくし立てながら、叫びながら泣いている夕美。
ふっと表情を和らげた夕美が優しく言いました。
「加奈ちゃん……最後まで立派に生きたよ……」
「ぅぅ……」
そんな夕美の言葉がまるで鋭利な刃物のように隆道の心をえぐります。
感じる痛み。それは忘れていた痛みであり、逃げていた痛みでもあり。
返事ができなかった、死に目に立ち会えなかった負い目が、隆道の心に残した苦痛。
現実から遊離させかけたほどのトラウマ。
「だからさ、ね? ……祝福してあげようよ」
「ぅぅぅ……」
目頭が熱くなる隆道。
これは……涙?
俺が、泣いているのだろうか?
おそらく加奈の死から逃げていた隆道は悲しみからも逃げていて、涙を流すこともなかったのでしょう。
その隆道が流す涙。それは加奈の死を認め、悲しむ涙。
「ほら、この部屋だって埃だらけだよ。大切な思い出なら、ちゃんと保管しないと駄目でしょ。どうして逃げてるの?」
「だって、加奈の……加奈の部屋なんだ……」
「だからこそ、じゃない?」
「俺……」
これは成人男子の泣き方じゃないな。そんな自覚しながらも泣き続ける隆道。
まっすぐに喋れないほど激しい嗚咽をいくつもこぼしながら隆道は話します。
わずか20年にも満たない短い人生を駆け抜けていった、かけがえのない存在だった少女のことをひたすらに。
そんな隆道の頭を抱いて上手にあいづちを打つ夕美。
それだけのことが死ぬほど嬉しくて、さらに泣く隆道。
「さ、この部屋、キレイに片付けよう。加奈ちゃんの思い出に、埃が積もっちゃわないように……ね?」
「うん……うん……」
濡れたまぶたをぬぐって、立ち上がる2人。
まずは積もった埃をはらって、荷物を整理しなくては。
加奈の思い出が朽ちてしまわないように−−−
長い悪夢は終わりを告げ、
ようやく、俺は自分の時間を歩き始める。
[ Fin ]
以上、『夕美エンド 迷路から』でした。
はぁ……。
…………え? 元気がないって?
はい……実はそうなんですよ……。全然スッキリしないんですよ……。
隆道は加奈の死を乗り越えました。
かけがえの無い存在であった加奈を失い、絶望のどん底から隆道を救ったのは夕美でした。
これで夕美は隆道にとってかけがえのない存在となったでしょう。
でもそれは決して加奈の代わりなどではなく、れっきとした『夕美』という存在として。
辛い時もあるかもしれません。
でも2人なら乗り越えていける。そう信じています。
…………ならどこがスッキリしないのかって?
それは……音楽です。
ラストシーン、夕美が加奈のフリをして隆道の目を欺き、そして隆道の心の錠前を砕いたシーン。
最後、隆道の目が覚め、加奈の死に正面から目を向けたシーンになっても音楽が暗いんですよ。
そしてそのまま[Fin]に突入なんですよ。
こりゃ納得できませんって。
確かに加奈が死んでしまったのは悲しいことです。
でも隆道は目を覚ましたんですよ?
前向きに生きていく決心をしたんですよ?
夕美と2人で歩んでいくんですよ?
D.O.さん、あなた方はそれを祝福してやろうと言う気にはならなかったんですか?
夕美嫌いなんですか?
俺は好きですよ?
と言う訳ですっきりしないまま『夕美エンド』完了です。
いかにバックミュージックと言うものがゲームにおいて重要なものであるかを再認識させられましたよ。
何はともあれ、夕美です。
俺、ヘタすりゃ加奈より好きかもしれません。
自分に正直で、前向きで、明るくて、純情で、まっすぐで……いい娘じゃないですか。
今後隆道は尻に敷かれることは間違いないでしょうね。うらやましい……。
と言う訳で今日はここまで。
次回は移植の際に夕美に頼らずにやってみましょう。
その結果として夕美は隆道から離れてしまうのかどうか、が気になるところです。
以下次回!!