2002.3.14 「あ、あぅぅ…マジで勘弁……」編
はあ……加奈の『最後の退院』…………。
もう、助からないんですか……?
加奈のお見舞いに行く途中でたまたま夕美とばったり。
どこに行くのかという質問に隆道は「買い物」と答えます。
なんとか夕美をごまかそうとする隆道ですがいい言い訳が浮かんできません。
夕美は恋人のはずなのに。隠し事のない、互いを信頼し、愛し合ってる筈なのに。
でも隆道にはそんな感覚はありません。本当に恋をしているのかどうか、がわからないのです。
結局夕美に付き合って買い物をするうちに見舞いになど行けない時間になってしまいました。
毎日加奈に会う、と美樹さんと約束したのに……。
って言うか、夕美に言っちゃえよ。加奈の身体のことをさぁ。
そうすれば絶対夕美はわかってくれるよ。隆道を止めようともしないだろうし、ましてや邪魔なんてことも。
それを言わないのは何故か。
夕美が加奈のことを知ったら自分も見舞いに来る、と言い出すかもしれないし、加奈が隆道の恋人である夕美と会っていい気分の訳がないし。
それでも加奈が単なる『妹』だったら隆道も夕美に言えたのかもしれません。
でも加奈は隆道にとって『妹』以上の存在だとしたら……。
翌日。美樹さんと2人で加奈の病室へ。
するとベッドに加奈の姿は無く、その代わりに鼻をすする音が。
「隆道君、あそこ……」
「あ……」
加奈はベッドの反対側に膝を抱えて座り込んで泣いていました。
下半身にはシーツをかぶせ、それを抱え込むようにしながら泣いている加奈。
「……なあ、どうしたんだ?」
「……いや……いゃぁ……」
何を言ってもろくに反応しない加奈の肩はひどく震えています。
埃で汚れるぞ、と隆道がシーツに手をかけた瞬間、
「いやぁぁぁ……」
と加奈は激しい拒否と共にさらにシーツを抱え込みました。
「ど、どうしたんだ……加奈」
「わたし……わたしの体……どうなってるの……おかしいよ……絶対おかしい……っ!」
「か、加奈ちゃん……」
「突然苦しくなって……胸が……今までも運動とかすると苦しいことはあったけど……今日は何もしてないのに……ベッドから起きようとしただけなのに……胸が……」
こんなにも加奈が感情を爆発させたのは長い入院生活でも初めてのことでした。
隆道はもとより、美樹さんすら動揺するほどに取り乱す加奈。
「加奈ちゃん……ど、どうしたのよう……」
「胸が……痛くて……わたし……わたし……」
「む、胸が痛いの?」
「…………ぅぅ……」
一瞬泣き止みそうに見えたものの、さらに激しく加奈は泣き出しました。
「なんで……なんでわたし……こんなに苦しんで……学校にも行けなくて……いやだよ、もういや! 普通に暮らしたい……他の人みたいに……好きなものが食べたいし、好きなところに行きたい……行きたいのに……」
「加奈、落ち着くんだ、な?」
「もう退院する! 好きなように暮らす!」
「無理だ、そんなことしたら……自分だってわかってるんだろう?」
「わからない……わかりたくない!」
「じゃあ、どうしたいんだ……」
「わたしの体……どうなってるの? 本当のこと……教えてよ」
「だから、腎臓がちょっと悪いだけなんだ……」
「嘘……」
「本当だって!」
「なら、なんで血を吐かなくちゃいけないの? なんで胸が苦しくなるの? どうして……どうして……」
「それは……」
「……わたしも……ガンなの?」
「違う! そんなわけないだろう!」
「叔母さんみたいに……死ぬんだ……わたし……」
「……加奈」
「……死ぬんでしょ? ……ねえ、死ぬんだよね?」
「死なない、死ぬもんか」
「嘘!」
加奈の感情の嵐が吹き荒れます。不安に押し潰されそうになりながら加奈は叫ぶのです。
「……いつか治る。いつか治るっていわれて……もう何年も待ったのに……いつかっていつ来るのよ? 来ないんでしょう? わたし、死ぬんでしょう?」
「……」
「……もう」
やがて力を失った加奈は地面に吐き出すように言いました。
「……もう、どうでもいい」
「……!」
ひっぱたく
言葉でいさめる
それは言ってはいけない言葉でした。
たとえ……たとえ…………本当に加奈が……助からないとしても。
パンッ!
と乾いた音が病室に響きました。
「きゃっ……っ!」
「隆道君っ!?」
本当にどうでもいいのか、と隆道。
「俺はおまえに健康になってほしいと思ってる、加奈」
「……」
「父さんも、母さんも……この美樹さんだってそうだ。なのに……当の本人がそんな弱気で……」
「……」
「どうでもいいことなんてない、おまえはそんな軽い命じゃない!」
パンッ!
「あ……っ!」
さらにもう1発。
それはいさめるためではなく、言葉だけでは伝えることのできない隆道の気持ちでした。
そんな隆道の心も痛いのです。
「俺だってつらい……まわりの人間の方がつらいことだってあるんだ……」
「……」
「苦しいのか……そうだろうよ。お前は病気なんだよ。簡単には治らない病気だ。だから苦しいよ、当たり前だ! けどな、俺だって苦しい、死ぬほど苦しいんだよ! なんなら交換してやろうか。俺が病気でおまえが健康……それなら楽なのか、なあ!」
加奈の肩をつかんでガクガクと揺する隆道。
「ちょ、ちょ、ちょ……」
「どんな人生だって、望み通り生きられることなんてないんだよ! 誰だって同じだ、俺だって同じだ! 他の人間と同じスタートラインに立てないと、走る気もないってのかおまえは! そんな卑怯者だったのかっ!?」
「……ぅ」
「どんなに不利でも、精一杯やればいいじゃないか……なあ? そしたらみんな誉めてくれるよ、誰も誉めてくれなくても、俺が誉めてやるから……」
「そ、そうよ……私も誉めてあげちゃう!」
「他の人間の分も、全部まとめて俺が誉めてやるから……な?」
美樹さんの発言はスルーですか……。
「……ぅぅ」
膝に顔を押し付けて、肩を小さく震えさせる加奈。
「心配、してるんだぞ」
「……(こくん)」
そうしてやっと落ち着いたようでした。
もう痛みは無いようなのでとりあえず加奈が抱えるシーツを取ろうとした美樹さん。
でもその動きは止まりました。
「加奈ちゃん……あなた……」
自分もシーツを見てぎょっとする隆道。
シーツにはぽつんと小さな赤い染みがついていたのです。
一瞬吐血かと思った隆道ですがすぐに違うことに気付きました。
吐血にしては量が少ない。となると……。
「……わかったのに……動けなかった……んだよ……今まではちゃんとできたのに……動けなくて……トイレ……行けなくて……て……」
加奈の頭を撫でる美樹さん。
「お兄ちゃぁん……」
そう言って加奈は隆道を見つめてきました。
でも隆道の意識はそれどころではありません。
白いシーツを汚す血の跡。
それが隆道にとってはひどく明示的な意味を持っていたのです。
その血は加奈の『生理』の血。
加奈も……永遠の幼女ではないのだ。
隆道にとって加奈はそういった現象とは無縁は存在でした。
人間的な汚れとは全く重ならない、潔白な存在である、と。
隆道の中の固定観念が崩れていきます。
加奈もまた一人の『女』であると、隆道は自覚しました。
「おに……ちゃ……」
すがるようないたいけな瞳。
そらしたくても、そうする訳にもいきません。
今まで多くの想いを交わしてきた兄妹の目線。
何とか本能的な衝動は抑えたものの、隆道の目にはまだ読まれてはならないことがありました。
それは加奈の病状。
慢性腎不全は進行し、それはやがて加奈の生命力を奪い、今や内臓の各部位にまで影響を与え始めていること。
読まれる。読まれてしまう。
そう思いながらも目を閉じることは許されず、ジレンマに立たされる隆道。
目を見るな……見ないでくれ……。
やがて……。
「……」
加奈の瞳に、急速に理解の光が宿っていきました。
「美樹さん……ありがとう……もう、いいです……」
そう言う加奈はもう泣いてはいません。でもその目に浮かぶのは……。
「……動ける?」
「……はい」
力なく立ち上がり、トイレに向かった加奈。
美樹さんもシーツを持って部屋を出ようとドアに向かいます。
そして。
「……ごめんなさい……」
呟くようにそう言って加奈は去っていきました。
さきほどの加奈の視線。
一瞬だけ見せた理知的な光。
結論は……一つ。
……ばれた……ばれたんだ……
病室で1人、隆道は顔を覆うのでした……。
あうぅぅぅ……。
ついに、加奈にばれてしまいました……。
つ、つれぇ……辛いッスよう(美樹さん風)。
果たして加奈はどうなってしまうのでしょうか。
家族全員で加奈の見舞いに行くことに。
一つでも加奈に思い出を残してやろうという、家族全員での判断でした。
その道の途中で偶然夕美とばったり。
隆道に話しかけてきた夕美のことを訊ねてきた父親を見て、夕美は台本を用意していたようにさらさらと喋り始めました。
「私、隆道君と清く正しくお付き合いさせていただいてます、青心女子大の鹿島夕美と申しまーす!」
その時はきょとんとしながらも、いたく夕美と気に入った両親。
さらには夕美も加奈の見舞いに一緒にくることになってしまいました。
それはマズいんじゃないか?
病院につくとまず両親は加奈の担当医のところに向かったので、隆道は夕美と2人で加奈の病室へと向かいました。
隆道は加奈と夕美を会わせたくない気持ちでいっぱいです。
加奈はブラコンだから、せめて恋人ではなく大学関係の友達ということにしてくれ、と夕美に懇願。
そんなことしても加奈は2人のキスシーンどころかセックスシーンまで見てる訳だし……逆効果だと思うだけどなぁ。
とにかく夕美も渋々納得してくれたので2人は病室に。
「……兄さん」
迎える加奈は落ち着いた、でもどこか沈んだような声でした。
……って『兄さん』?
その後はどこかよそよそしい会話の続く3人。
加奈が夕美を警戒しているのは明らかにで、それを察しているであろうにも関わらず笑顔を絶やさず会話を続ける夕美は流石だ、と隆道。
それに反して加奈は淡々と会話をそながらもほとんど笑みを浮かべることすらありません。
その内夕美は花が枯れかかっていることに気付き、花瓶を持って病室を出て行きました。
「……ごめんな、来る途中に捕まっちゃったんだ」
「ううん」
「まあ今日は、親父とお袋も来てるしな……」
「二人は?」
「今、先生に挨拶してるよ」
「そう……」
訪れる沈黙。そして……
「……あの鹿島さんって、兄さんの恋人だよね」
「なっ!」
「いいよ、わたしに気を遣ってくれなくても……」
「いや……」
「いい人だよね。わたしなんかよりずっと元気でキレイで……」
「加奈……」
「わたしね、兄さん」
そこで初めて違和感を感じた隆道。
『兄さん』
この言葉にはどんな意味が込められているのでしょう?
「いろいろ考えてるの、今」
「そうか……」
「……まだ何一つ結論は出ないけど……」
「ゆっくり考えるといい。時間がないわけじゃないんだ」
「……」
時間がある。
その言葉を発する隆道の気持ちを考えると胸が痛いです。
加奈は窓の外を見つめて言いました。
「……そろそろ寒くなっていくね」
「……そうだな」
「急がないと……」
「えっ?」
「ううん、何でもない」
再び訪れる沈黙。
自分から話しかけるとボロが出てしまいそうで、何でもいいから喋ってくれ、と思い続ける隆道。
そんな隆道の胸中を知ってか知らずか、加奈は思い出したように口を開きました。
何かしなくちゃいけないと思う、と。
何かとは何か、と聞かれても答えることはできません。
ただ、『大切なこと』とだけ。
「なんだ、抽象的だな」
「少し焦ってるのかもね」
自嘲するように笑みを浮かべる加奈。
「鹿島さん、良さそうな人だね」
「なんだよ、突然に」
「あの人なら、いいかな」
「あのなあ」
「なんか、ちょっと安心しちゃった」
「……別に、そんなんじゃ……」
「いくら私でも……わかるよ、二人の態度見てれば。ただの友達じゃないことくらい」
そんな加奈の言葉を聞いて、隆道の心に落ち着かない気持ちが広がります。
加奈に、夕美との関係を知って欲しくない、と。
「……違う」
「え?」
「夕美は……違う」
「兄……さん……?」
別の生き物のように勝手に動く隆道の口。
きっと操られているだと思う、と隆道。欺まんという怪物に。
夕美との関係を否定する
押し黙る
ここで押し黙ったら全てを認めることになってしまいます。
たとえそれが事実だとしても……加奈がそれに耐えられるかどうか。
いや、耐えられないのは隆道の方かもしれません。
夕美に心の中で謝りつつ(俺が)前者。
「俺は、別に夕美のことは……」
「ちょっと……兄さん……」
「好きで付き合ってるわけじゃ……なくて……ただ状況が……」
「……」
「なんとなく……そうなって……そういう関係に……」
「やめて!」
耳を押さえる加奈ですが、隆道は言葉を紡ぎ続けます。
「加奈、聞いてくれ……俺は……」
「駄目だよ……駄目……いけない……」
「彼女なんていらなかったんだ……俺にはもう守るものがあったから……」
「……言ったら……駄目ぇ……」
「俺はさ……加奈を……加奈が……」
「せっかく……せっかく自由になれるチャンスなのに……やめて……私はいいから……いいか……ら……」
やはり加奈は自分が隆道の重荷になっていることを気にしていたのでしょう。自分が隆道を縛り付けている、と。
そこで現れたのが夕美。
「安心した」というのは、おそらく加奈の本心だと思います。
例えその裏にどんな気持ちが隠されていたとしても心から加奈はそう言ったのだと思うのです。
でもそれは一瞬のこと。
隆道が夕美のことを否定した言葉は虚偽の塊です。
でも加奈のことは…………隆道の本心。
あああ…………。
そこでドアの開く音が。入ってきたのは花瓶を持った夕美。
「たっだいまーっ!」
能天気なまでに明るい夕美の声。
でも隆道はそれどころではありませんでした。
「ぁ……ぅ……」
顔をしかめて上半身を前のめりに倒す加奈。
「お、おい……どうした?」
「また……胸が……」
「痛むのか?」
「……先生を……」
わずかな一瞬の時間だったというのに、加奈の額には脂汗が浮き始めていました。
ナースコールをする隆道。
「ど、どうしたの……?」
「……はぁ……はぁ……」
息が荒い加奈を見て、それは腎不全から来る心臓の異常だと隆道にもわかりました。
心臓と腎臓は一心同体なんだそうです。
担当医が来るまでの時間を、無限の長さに感じる隆道でした……。
それにしても……例え加奈に言い聞かせるためとは言え、あの隆道の発言は許せないものがあります(言わせたのは俺ですが)。
そんなに夕美とのことを知られたくなかったのなら、どんなことをしてでも見舞いを断ればよかったんだ。
「状況でなんとなく」なんて夕美に対する冒涜です。まさかあそこまで言うとは思わなかったんですよ、俺。
でも……加奈を想う隆道の気持ちはわかるし…………。
どんどん悪化していく加奈を見てるのは正直辛いです。
数日後。
隆道は病院で叔父さんに会いました。亡くなった須磨子さんの夫であり、香奈の父親でもある叔父さんです。
何故叔父さんが病院に……と言う謎はすぐに解けました。
「兄ちゃん!」
「ああ、そうか……香奈、久しぶりだな」
「なのじゃー」
どうやら香奈の検診に来たようです。
病院の中庭で叔父さんと話をする隆道。
近くでは香奈がボールで遊んでいました。
サッカーだかバスケだかわかりませんが、いいドリブルをしているようです。
病気がちの香奈なのにその動きはちょっとした奇跡のように思える隆道。
香奈は肝臓疾患でした。
『かな』と言う同じ名を持つ2人の少女は、それぞれ酷似した人生を歩んでいたのです。
先天的な香奈の疾患が須磨子さんの遺伝だとしたら、香奈に障害があるのは残念ながら納得できる、と隆道は考えます。
だが……加奈は……。
アルバムにいない。いなかった加奈は……。
不意に隆道の足元にボールが転がってきました。
「投ーげーてーっ!」
「よーし……そらっ!」
香奈の足元に転がったボール。
それではしゃいでいる香奈を微笑ましく見ていた隆道の背中に、さらりと漏らされた叔父の一言。
「香奈は助からん」
おぁうちっ!!
か……香奈まで……?
「え……?」
振り返るとそこにはいつもの温和な顔をした叔父の姿が。
「兄ちゃーん、またなのじゃー!」
ボールを投げる隆道。
強く生きてほしいから、本人にも教えてある。
そう語る叔父の方を振り返ることができない隆道は、ただただボール遊びに笑う香奈を見つめることしかできませんでした。
信じられないほど重い宿命を背負った少女を……………って……勘弁してくださいよ……マジで。
加奈だけじゃなくて香奈まで?
こんな辛いゲームがあっていいのか!?
もはや苦痛以外の何物でもないぞ……。
あともう1つ。
どうやら加奈と隆道は血が繋がっていないことが判ってきました。
アルバムに加奈の写真がなかったのは、きっと加奈はある程度大きくなってから引き取られた子供で(記憶が無いぐらいは小さい頃で)、そのまますぐに入院生活に入ってしまったのでしょう。
そうなると……どうなる? どうなるんだろう?
と言う所で今日はここまで。
以下次回……。