First Experience
終曲


コンドームを外すと、とたんに中に溜まっていた精液がこぼれてきた。あわてて手に持っていたテッシュですくう。そのテッシュでコンドームを包み込むと、そのままくずかごに投げ捨てた。……コンドームって燃えるゴミに出しちゃってもよかったんだっけ?

箱からもう一枚テッシュを抜き取ると、コンドームが取り外されたペニスを見た。全盛期に比べるとだいぶしぼんでしまっているそれは精液でてかてかと光っていた。少し弛んだ皮を指で伸ばしてからテッシュで拭きにかかる。……あ、テッシュが皮にくっついてしまった。精液の粘着力のせいか、貼り付いたテッシュは爪が掻いてもなかなか取れない。それならばと僕は指に唾をつけ、それでティッシュをふやけさせながら破がしていった。よし、これできれいになったぞ。

そのティッシュも投げ捨て、一仕事を終えた僕はふうっと一息ついた。そして、ふと思った。

……これって、傍から見たらものすごく間抜けな光景だよな。

ベッドの隅に腰を下ろし、前屈みになって後始末をしている様というのは、この上なく情けない気分にさせるもののようだ。このへんのところは自慰の時と何ら変わらないんだなと思った。

ただ、自慰と根本的に違うのは、相手がいるということで――

僕は後ろを振り向いた。

そこには都が横になっていた。身体には何も身につけてはいない。うつぶせになっているため胸や恥毛はお目にかけることはできないけど、白い背中といまにもかじりつきたくなるようなかわいいお尻は丸見えだ。疲れているのか、ぼーとした顔をしている。虚ろな目でシーツの皺をじっと見つめている。

……僕、ついに都とセックスしちゃったんだな。

脱力している都を見て、僕は改めてそのことを実感した。

産まれた頃から当たり前のように互いの側にいた幼なじみの僕ら。一緒に月日を重ね、成長してきたと言っても過言ではないだろう。小学生の一時期、性別の違いを意識するあまりちょっと疎遠になりかけたこともあったけど、ずっと仲良くやってこれた。そんな関係がとても暖かくて、心地が良かった。

いつまでもこのままでいられたらいいのにと思っていた。

だけど、その一方で僕らはいつまでもこのままではいたくないとも思っていたのだ。これまでとは違う、新たな関係になることを切に願っていた。それは恋人同士になることであり、肉体関係を結ぶことだった。前者は二年前に、後者は今日晴れて念願を叶えることができた。

セックスはすばらしかった。都の身体は想像していたものよりは若干スケールダウンしているようにも見受けられたけど、まぎれもなく女性の身体をしており、見ていてドキドキした。身体に触れる度に都が甘い声で反応してくれるのがこの上なく嬉しかった。胸の柔らかな感触はいまだに手のひらに残っている。都にからかわれたせいですぐに止めてしまったけど、都の乳首を口にふくんでいると小さな子どもに戻ったようで懐かしい気持ちにさせた。女性のヴァギナを初めて見た。思いの外複雑な形をしていて驚いたけど、都のそれはきれいなピンク色をしていて、その美しさに目を奪われた。都が嫌がるのであまり手をつけられなかったのが悔やまれる。都の中はとてもきつかったけど、温かくて、都に包み込まれているようでとても幸せな気持ちになれた。コンドームの中にだったけど、射精した時は自分の中の何かが解放され、満たされた気分になれた。

自分で言った恥ずかしい台詞「身体を重ねることによって相手と一体となれる」は本当のことだと思ったし、その後都が返したように、たしかにそれは「素敵だ」と思った。

セックスっていいなって、本気でそう思えたのだ。

しかし――

行為を終え後始末をしているうちに、それまで僕を包み込んでいた高揚はすーっと引いていき、入れ替わるようにいいようのない喪失感が襲ってきた。それはまるで、胸にぽっかり穴が空いてしまったかのようで……。

セックスしたことを契機に僕らの関係は変わってしまうだろう。僕はもはや、都をこれまでのようにただの幼なじみとしては見ることができそうにない。ひとりの愛する女性としてしか受け止められないと思う。それはきっと、都も同様のことだろう。

セックスすれば大人になれるだなんて単純かつ甘い認識を持っているわけではないけど、もはや無邪気な子どもではいられないのだということは痛いほどよくわかっていた。僕らはもう、これまでの幼い関係には戻ることはできないのだ。今日、僕らの子ども時代は終焉したのだと思った。僕が喪失したものはきっとそれだ。

後悔はしていない。都と恋人同士になると決めた時から遅かれ早かれこうなることはわかっていたのだし、なによりこれは僕ら二人が望んでいたものであるのだ。だから、後悔なんかしない。

だけど……そうは思いながらも、もはや今までどおりではいられないのだという事実は、夕闇に沈む公園を見た時のように僕を寂しい気持ちにさせた。そう、都が呟いたように変わってしまうことが切なくて……。

鼻がつーんとした。扁桃腺が腫れたように痛くなる。目頭が熱くなるのを感じた。……いかん、何だか泣きそうだ。

僕は沸き上がってくるたまらない衝動を振り払うかのように激しく首を振った。

いったい何をたそがれているんだ。一時の哀愁に捕らわれて自らがしたことを悔いるつもりなのか? しっかりしろ! 僕がそんな情けないことを思っているなんて都が知ったら悲しむだろ。……黙って座り込んでなんかいるからこんなくだらないことを考えてしまうのだ。とにかく今はすべきことをちゃんとしよう。

今僕がすべきこと――それはベッドの下に落ちてしまっていた毛布を拾い上げ、都の身体に掛けてあげることだった。いつまでもそんな格好でいて風邪をひかすわけにはいかないからね。

毛布を広げ、さあ掛けようとしたその時、それを見つけた。

それは、おろしたての淡いブルーのシーツの上にぽつんと浮かぶ小さな赤い斑点だった。――都の清純の証だ。

「…………」

それを見た僕は絶句してしまった。……これは、僕が流させたものなんだ。

「……誠司君?」

それまでぼーとしていた都は、僕の様子がおかしいことに気づいたのか身体を起こした。それはとてもけだるい、スローモーな動きだった。

都は僕の視線を追い、自分が付けたそれを見つけた。

「やだ……これ染みになっちゃうかな?」

困ったようにそう言うと、都は赤い斑点に手を触れた。擦るように指を這わせる。僕にはその様子がまるで自らが流した血を儚んでいるかのように感じられて……。

「……ごめんな」

たまらず僕の口から謝罪の言葉がこぼれた。優しくするなどと言っておきながら、都の身体を傷つけてしまったことを申し訳なく思った。

都は一瞬何のことだかわからずきょとんとしていたけど、すぐに僕の言葉の意図を察したのか、眉を寄せてたしなめるように言う。

「誠司君、謝ったりなんかしないで。わたしは初めてだったんだから――中にはそうじゃない人もいるみたいだけど――血がでるのは当然でしょ。それは最初から覚悟していたことじゃないの」

「そ、そりゃそうなんだろうけど……でも、その……痛かっただろ?」

挿入した際の都の苦痛に歪んだ顔を思い出しそう尋ねると、都は苦笑いして、

「うん、すごく痛かった。身体が真っ二つに裂けてしまうんじゃないかと思えて、それこそ死んじゃうくらいに痛かったよ」

「そ、そうなんだ……」

僕は言葉に詰まってしまった。死ぬほどの痛みってどんなものなのだろう? 僕の貧相な想像力では、野球のボールが股間に命中するイメージくらいしか思い浮かばなかった。

考えてみれば、女性には破瓜の痛みの他にも生理の痛みや出産の痛みなんていうのもあるんだよな。男に生まれたなら一生経験することのない類の痛みをいくつも受けざるを得ない女性という存在を気の毒に思った。

「……でも、いいの」

そんな僕の安っぽい同情なんか振り払うように都は言った。さっきの苦笑いとは別種の笑みを浮かべる。それは、全てを受け入れるかのような深い微笑みだった。

「どうして、女の人は初めてのセックスの時に痛い思いをしなくちゃいけないんだろうね? 男の人は最初から気持ちいい思いができるのにさ」

「ご、ごめん……」

それは僕を含めた男性全員を非難しているように思えて、たまらず頭を下げてしまう。

そんな僕のおろおろした様子を見て、都はおかしそうにクスッと笑った。

「わたしはね、その理由についてずっと考えていたんだ。保健体育で性の仕組みを知った時や、先に経験を済ませた友達にその体験談を聞かされた時、そして今日誠司君とセックスしている最中も、ずっとそのことを考えていたの。――そして、行為が終わって後の処理をしている誠司君の背中をぼんやり見ていた時、不意にその答えがわかったんだ」

「そ、そうなんだ。……で、その答えって?」

僕が聞くと、都はもったいぶるように少し間を置いてから答えた。

「それはね、忘れないためだよ」

「忘れないため?」

「そう。初めて男の人とセックスした記憶を絶対に忘れないよう心に刻みつけるんだよ。痛いのはそのせいなんだよ、きっと」

そう言うと、都は自分の裸の胸に手を当てた。

「今日、わたしは初めてのセックスをした。相手は小さい頃からずっと好きだった人で、不慣れなためか少し不器用だったかもしれないけど、とても優しくしてくれた。彼がわたしの胸やお尻や、あそこを触ってくれた手のぬくもりがとても心地よかった。彼を受け入れた時はすごく痛かったけれど、でも同時に気持ちもよくて、ついに彼とひとつになれたんだと思うとこの上ない喜びを感じた……。――このことは、痛みと共にわたしの心にしっかりと刻み込まれたよ。とても幸せな記憶としてね」

「そうか……」

そんなことを何の臆面もなく言う都に、聞いているこっちのほうが気恥ずかしくなってしまい、頬を指でポリポリとかいた。

「わたし、今日のことは絶対に忘れないよ。たとえ誠司君が忘れてしまったとしても、わたしは今日の思い出をずっと持ち続けるの。おばあさんになってボケちゃったとしてもね」

「僕だって忘れないさ!」

僕は反論したものの、都は「さあて、どうかしらね」なんて言ってニヤニヤ笑っていた。僕にはそれが痛みの記憶を持てる女の余裕のように感じられ、そのことが少し悔しく、そしてほんの少しだけうらやましく思えた。

その時、僕らの会話を断ち切るかのように音楽が流れてきた。僕の携帯の着メロだ。空にいるといわれる少女を求めて旅をするという内容の、以前プレイして感動したゲームの主題歌の美しいメロディーだ。

僕はベッドから降りると、机の上に置いてあった携帯を手に取った。表示を確認すると、母さんからだった。

正直、今はあまり電話には出たくない気分だった。なにぶん裸だし、なにより親には言えない行為をした後なもので……。

とはいえ、出ないと留守中に何かあったんじゃないかと心配されるかもしれない。面倒だけど出たほうが賢明だろう。どうせテレビ電話じゃないんだから、こっちがどういう状況になっているかだなんてわかりっこないだろうし。

僕は通話ボタンを押して電話に出た。

「もしもし……」

『ふはははははは! 我が息子よ、元気にしとったかね?』

……宴会でもやっていたのか知らないけど、すっかり出来上がっているのが一発でわかった。

「なんだよ、こんな時間に。今いったい何時だと思っているんだよ」

『いやーん。息子がつれないこと言うよー。お母さん、ヒジョーにサビシー!』

「……いいから用件を言え、用件を」

『もーう、ほんとにつれないねぇ。少しはノリに付き合ってくれてもいいのにさ』

「切るぞ」

『わかったわかった。用件を言えばいいんでしょ。――えーと、家のほうはどうよ?』

「どうって、別に変わりないけど」

『本当? ちゃんと電気やガスの始末はしているんでしょうね?』

「当然だろ。そんなこと言われなくたってやるさ」

『それじゃあ、ちゃんと晩ごはん食べた?』

「ああ、食った食った」

『じゃあ、都ちゃんも食べちゃった?』

「ああ、食った食った」

『…………』

「…………」

……ん? 何か今、ろくでもないことを聞かれたような気がしたのだけど。たしか、都がどうこうって。そして、僕の答えは「食った」って……。

…………。

う、うわーーーーーっ!?

『ははーん。そうか、そうか』

母さんは納得したような声で言う。きっと電話の向こうではうんうんと頷いていることだろう。

「ちょっ、ちょっとタンマ!? 今のなし?! 間違い?! 思わず口が滑っただけで、事実じゃないんだ?!」

僕はあわてて弁明しようとしたものの、

『みんな、聞いて聞いてー! 誠司が都ちゃんとやっちゃったってさー!』

携帯のマイクから離れたところで母さんの声がした。うわぁ!? そんなことを人に言いふらすんじゃない!

やはり離れたところから『おおーっ!』と歓声が聞こえたかと思うと、すかさずマイクのすぐ近くからの声が飛び込んできた。

『よくやった。さすがは我が息子。グッジョブ!』

父さんだった。親指をピンと突き立てて笑っている姿が目に浮かぶようだ。

「グッジョブって何だよ、グッジョブって?!」

僕が文句を言った時には父さんはすでに携帯を手放していたらしく、返答は無かった。

『代わって代わって』という声が遠くからしたかと思うと、また違う声が携帯のスピーカーから聞こえてきた。

『誠司君、お疲れさま。うちの都が粗相を働かなかった?』

おばさん――都の母親だった。それは普段と変わらない朗らかで優しげな口調だった。

「あ、は、はい、それはもう……」

何が「それはもう」なのか自分でもよくわからなかったけど、そう答えるより他なかった。……っていうかおばさん、あなたの反応はそれでいいんですか?

事の成り行きにただただ呆然としている僕をよそに、電話の向こうの親たちは『本当にこうなるとは思わなかったわ。あの子は案外ヘタレだから、土壇場になって尻込みするものと思っていたのだけど』とか、『そんなことないわよ。お宅の誠司君はやるときにはやる子だもの』や、『やっぱり俺の血だな。男はやっぱりこうでなくっちゃ』などと勝手なことを言って盛り上がっていた。

しばらくして、再び母さんの声がした。

『いやー、おめでとう。これで君も晴れて童貞卒業だね。よかったよかった』

「な、何言っているんだよ!? ――だ、だいたいだな、僕と都はただの幼なじみであって、決してそのような不適切な関係では……」

『贈収賄疑惑が持ち上がっている政治家みたいなこと言ってるんじゃないの。あんたたち付き合っているんでしょ?』

「……ど、どうしてそれを?」

僕は一度も両親に都と恋人同士であることを言ったことはなかった。今みたいに冷やかされるのが嫌だったからだ。なのに、どうして母さんがそのことを知っているんだ? 都がおばさんに話し、それを母さんが又聞きしたのだろうか。

『なに寝ぼけたこと言っているのよ。あんたらを見たら、まだ色恋を知らない小学生だってこの二人はできているんだなって気が付くわよ』

「そ、そんな……。僕らは他のカップルのように人前でいちゃついたりするようなわかりやすいことはしたことがないんだよ。なのに、どうして見ただけでわかるんだよ?」

僕がそう聞くと、母さんはわざとらしく大きなため息をついた。

『やれやれ、本人たちにはまったく自覚がないときたか』

「何だよ、自覚がないって?」

『あんたたち、互いを見る時に絶えずラブラブビームを発しているじゃないの』

「ラ、ラブラブビーム?!」

なんだ、その聞いたこっちがこっぱずかしくなるような代物は。

『あんたが都ちゃんを見る時の目ってすごいキラキラしているのよね。いかにも「僕は君のことが好きだよ」って熱視線を送っているようなさ。都ちゃんの方も同様よ。それをラブラブビームって言ったの。傍からはそれが一目瞭然で、互いの視線が交わっている所を通ろうものなら一瞬にして黒こげにされちゃうんじゃないかって感じなのよね。……なのに、あんたは自分で気が付いてなかったわけ?』

「…………」

し、知らなかった……。僕が都を見る時、つねに母さんが言うところのラブラブビームを発していただなんて。そんなこと考えてもみなかった。僕としては、ただ普通に都を見ていただけなのに。

『……なるほどね。あんたたちにとっては互いに好き合っている状態が普通なのね。だから、つねにラブラブビームを発し合っていても、それはごく当然のことだからさして意識することもないってわけか。まったく、幸せなやっちゃなぁ』

そう言うと、また母さんはため息をついた。だけど、それはさっきのため息とは微妙に意味合いが異なるように感じられた。

「ああ、そうだよ。たしかに、僕と都は付き合っているよ。恋人同士だよ。――悪い?」

バレバレであるのならもう開き直ってしまえと思い、やけっぱちで言った。

『別に悪かないわよ。むしろ、小さい頃からあんたらを見ている身としては、そうなることがごく自然の成り行きだと思うしね』

「そ、そうなんだ……。――だ、だけどね、僕と都は、別に母さんたちが想像しているような関係になったわけじゃ……」

『……何? 何もなかったって言うわけ?』

これまでのおちゃらけた口調から一転、母さんの鋭い声が飛ぶ。それは嘘偽りを許さないような響きがあった。

「そ、それは……」

僕はちらっとベッドの方を見た。そこにはぺたんとお尻をついて座りこんでいる都がいた。身体には何も身につけていない。僕の電話のやり取りを不安げな目で見つめている。その横には破瓜の跡がくっきりと残っていた。

……何もなかっただなんてしらばっくれることは、心情的にできそうになかった。

「ま、まあ、たしかに母さんが想像する通りではあるのだけど……」

『なんだ、やっぱりそうじゃないの。何恥ずかしがっているのよこの子は、まったく』

そう言って、母さんは愉快そうに笑った。……やっぱり、しらばっくれたほうがよかったのかもしれない。失敗した……。

『それ聞いて安心したわ。私たちが揃って家を空けた甲斐があったってものね』

「……ちょっと待て」

聞き捨てならないとばかりに僕は尋ねる。

「それってもしかして、僕らがこうなるよう仕向けるためにみんなで旅行に行ったってことなのか?!」

だとすると、僕らはまんまと親たちの策略にはまったことになる。……なんてこった。親の目を避けるようにして行ったことが、実は親の手のひらの上で踊っていただけだったなんて……。

僕の問いに母さんは『さぁて、どうかしらねぇ〜』と、しらばっくれたような声で答えた。こ、この親は……。

僕が電話越しに家庭内暴力に訴えようかという心理にまで追い込まれたその時、マイクから離れたところでの声が聞こえてきた。

『あなたも何か言いたいことがあるんじゃないですか?』

それはおばさんの声だった。相手を“あなた”と言っていることから、その相手がおじさん――都の父親なのだと予想できた。

そういえば、僕と都が関係を持ったことを聞き、母さん、父さん、おばさんの三人は大いに盛り上がっていたものの、おじさんの声だけはまったく聞こえてはこなかった。

おちゃらけたうちの父親とは違い、おじさんは頑固オヤジと言っても差し支えないような人だった。小さい頃、いたずらがばれて怒られたことがあり、とても怖かったのを記憶している。おじさんはたとえ他人の子どもであろうとも悪いことは悪いと注意することができる、生真面目できちんとした大人だった(……でも、そんな人が父さんと一緒に母さんたちをナンパしたんだよな。父さんに無理矢理付き合わされたのだろうか?)。

そんなおじさんが自分たちの子どもが性的関係を持ったことを知ってはしゃぐことなどありえなかった。むしろ、「色を知る歳かっ!」と一喝しそうだ。ましてや、大事な一人娘を傷物にされたのだ。きっと腸が煮えくりかえらんばかりになっているのではないだろうか。

うぅ……恐怖で身震いしてしまう。どうかおじさんが電話に出ませんように。

……しかし、僕の願いも虚しく『……わかった』という声と共におじさんは電話に出てしまった。

『誠司君』

おじさんが言った。いつものように低くて渋い声だ。

「は、はい……」

僕が答えると、しばらく沈黙が続いた。うぅ……胃が痛くなってきた。

その永遠とも思えるような時がしばらく続いた後、おじさんはボソリと言った。

『……ふつつかな娘だが、よろしく頼む』

「…………」

おじさんが携帯を手放したのが気配でわかった。遠くからおじさんのすすり泣く声と、おばさんの『あなた、泣かないでください。誠司君ならきっと都を幸せにしてくれますよ』という声が聞こえてきた。……二人とも、気が早すぎます。

『いやー、男女交際の最大の難関である相手の父親の承諾がもらえてよかったねー。おめでとさん。これで二人のラブラブ街道に障害はなしだねー』

再び母さんの脳天気な声が飛び込んできた。……祝福してくれるのはありがたいのだけど、何かむかつく。

「……あのさ、もう用がないんなら切るけど」

『待て待て待て。もうあんたには用はないけど、都ちゃんのほうにはあるの』

「都に?」

『そう。さっさと都ちゃんに代わりな』

そう言われ、僕は仕方なく都に携帯を差し出した。

「うちの母さんから」

『お、おばさんから?』

都は困惑しつつ携帯を受け取った。そして、恐る恐る話し出した。頼むから、どうかよけいなことだけは言ってくれるなよ。

「こ、こんばんは、都です。――は、はい、元気です。――え……は、はい、そうです……。――はい、大丈夫です。誠司君はちゃんとやってくれましたから。――え、いえ、そんなことはないです。だって……誠司君、優しかったから……」

「だあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

僕は都から携帯をひったくった。

僕があわてて携帯に耳を当てると、母さんのにやけた声が聞こえてきた。

『「だって……誠司君、優しかったから……」だってさー。うひゃー、焼けるねぇ。ごちそーさまー』

「う、うるさい!」

つくづく、何なんだこの親は! もう付き合ってられん!

「切るからな!」

僕はそう宣言して取り消しボタンに手をかけた。

『おっ、早くも二回戦突入かぁ?』

切った。

僕はしばらく携帯を睨みつけていた。すぐさま母さんから電話がかかってきそうな気がした。もしきたら、一喝してから速攻で切ってやる。

しかし、幸いなことに再び電話がかかってくることはなかった。僕は小さくため息をついた。それは安堵のためなのか、それとも気疲れのせいなのか、自分でもよくわからなかった。

僕は携帯を机の上に戻すと、ベッドにどっかり腰を下ろした。そして、横を向く。そこには都がいた。都は僕の様子を見ておろおろしていた。僕が振り向いたことでスイッチが入ったようにしゃべり出す。

「あ、あのね、おばさんはまず元気かって聞いてきたの。だからわたし、はい元気ですって答えたの。次に、誠司君とセックスしたのねって聞いてきたから、わたし恥ずかしかったけど、そうですって答えたの。そうしたら、ちゃんと避妊はしたのか、誠司君がナマじゃなきゃ嫌だとだだこねたりしなかったかって聞いてきたから、わたしは誠司君はちゃんとやってくれたって答えたの。最後にうまくできたのか、誠司君が自分勝手で乱暴なセックスをしたんじゃないかって聞いてきたものだから、わたしは――」

「……もういい。皆まで申すな」

必死に自分が母さんに言ったことを説明しようとする都を僕は力無く制した。

「ご、ごめん……。――わたし、変なこと言ったかな?」

こちらを窺うような目で都は聞く。

「……いや、都は変なことは言ってないよ。変なのはむしろ、あのろくでもない親どもなわけだから」

そう言うと、僕は再び大きなため息をついた。今度のは間違いなく気疲れによるものだった。

よりによって親にばれるとは……。僕らが付き合っていることすらからかわれかねないと思い黙っていたのに、肉体関係を持ってしまったことまで知られてしまうだなんて。……帰ってきたら、一体何を言われることやら。今から気が重くなってしまう。

「……誠司君、両親に今日のことを知られたのが嫌なの?」

うなだれている僕に都が聞いてきた。僕は我ながらぐったりとした顔を向け、


「そりゃそうだろう。何か悲しくて親に初体験を済ませたことを知られなきゃいけないんだよ。特に、うちの親どもは子どもをからかうことを生き甲斐にしているようなろくでもない連中なんだからさ。――あー、くそっ、とんだ弱みを握られちまった。この先、あの二人がくたばるまで何度このことを言われ続けるのやら……」

僕は頭を抱えた。タイムマシンで過去に戻り、携帯を破壊してしまいたい衝動に駆られた。

「……都だってそうだろ?」

僕がそう聞くと、都は困ったように身をもじもじさせて、

「たしかに、そうかもね。お父さんやお母さんが帰ってきた時、どんな顔をして会えばいいのかわからないし……。……でもね――」

ふっと、都は微笑んだ。

「その一方で嬉しかったりもするんだ。だって、電話の向こうではみんな喜んでくれていたんでしょ? それって、みんながわたしたちを認めてくれて、祝福してくれたってことなんだよね。それは、とても幸せなことだと思うから……」

それは、心底満たされたような笑顔だった。

あの親ども――特にうちのは祝福だなんてご大層なことは何も考えてはおらず、ただ単に面白がっているだけだと思うのだけど、都のそんな笑顔を見たら、文句なんて言えなくなってしまった。

母さんたちにからかわれるのは正直むかつくけど、都が幸せだと感じてくれているのならそれくらいのことは我慢できるかな、と思った。

「さて、と。親が帰ってきてからの心配は後回しにするとして――寝るか?」

僕がそう言うと、都はビクリと身体を震わせて、

「そ、そうだね……」

緊張を隠せない顔で頷いた。

どうしたんだろうと少し不思議に思ったけど、かまわず僕は続ける。

「このベッドは狭いから、二人で寝るのはちょっと辛いかもしれないけど、まあなんとかなるだろう。都は左半分、僕が右半分を使うということで」

「……え?」

「毛布も一枚で何とかなるだろう。頼むから自分の方にばかり引き寄せたりはしないでくれよ」

「…………」

「枕は都が使っていいよ。僕は無くても寝られるからさ。……あ、僕の腕枕で寝たいっていうのならしてあげてもいいけどね」

「…………」

……あれ?

僕は首を傾げた。腕枕してあげるなんて言ったなら、都のことだからきっと恥ずかしがるだろうなと思っていたのに、そのような反応がなかったのでちょっと拍子抜けしてしまった。

でも、まったくの無反応というわけではなかった。その時、都は僕の顔をじっと睨んでいたのだ。その表情は真顔だ。眉毛がくっと上にあがっている。……そう、リビングで勝負下着発言をした時とまったく同じ状態だ。

僕は困惑してしまった。何か気に障るようなことでも言っただろうか?

「……寝るって、本当の意味での寝るなわけ?」

ぼそりと都が聞いた。

「そ、そうだけど……」

それ以外にどういう意味があるのだろうと思い、僕が戸惑い気味に答えると、都は呆れたように小さくため息をついた。そして、不意に両手で僕の胸を突き飛ばした。

その予想外の行動に、僕はたまらずベッドに倒れ込んでしまう。ベッドの縁に後頭部をぶつけた。目の前に星が飛んだ。

「な……何をするんだよ!?」

僕は頭をさすりながら起きあがろうとしたものの、それよりも都の行動の方が迅速だった。都は僕の身体にまたがると、そのまま腹の上にどっかり座り込んでしまった。都の重みはさほどでもなかったけど、なにぶん不意のことだったので一瞬息が詰まってしまう。

僕は驚きを隠せず、腹の上に馬乗りになっている都を見上げた。どうして都がこのような行動に出たのかさっぱり見当がつかなかった。

都は自分の下敷きになっている僕をじっと見下ろしている。その目は真剣そのものだ。ふざけてこんなことをしたというわけではないようだ。

都はどこか緊張を隠せないような声で言った。

「……誠司君」

「は、はい……」

「……もっと……しよ」

「……はい?」

「もっと……セックスしよ」

「…………」

僕は唖然としてしまった。都からそんなことを言い出すだなんて思ってもみなかったから。

そんな僕を尻目に都は続ける。

「さっき、わたしは幸せな思い出として初めてのセックスの記憶を心に刻み込んだって言った。その言葉に偽りはないよ。本当にそう思えたから。……けどね、ひとつだけ心残りがあるんだ」

「……心残り?」

すると、都の表情に変化が表れた。それは明らかに羞恥している風だった。顔を真っ赤に染め、視線は落ち着きなくあちこちに動き、瞬きがやたらと多くなる。

都は小さく息を吸い込むと、意を決したように――だけどまだどこか踏ん切りがついていないのか、口の中でもごもごさせたような不鮮明な声で言った。

「……けなかったの……」

「え?」

僕が聞き返すと、今度は半ばやけっぱちのようなはっきりした声で都は言った。

「わたし、いけなかったの」

「…………」

ま、また都の口からとんでもない発言が……。

その言葉を口にしたことで吹っ切れたのか、それともヤケになったのか、その後都は堰を切ったようにしゃべり出す。

「セックスはとても気持ちがよかった。たしかに最初はただ痛いだけだったけど、しだいに気持ちがいいという感情が沸き上がってきて、やがてはそっちのほうが痛みを凌駕するようになっていったの。それは、自分の指でしているのとはまったく違う気持ちよさだった。想像していたのよりずっとずっとすごかった。あぁ、これがセックスなんだって思った。すごく興奮した。快楽の波にのまれて、このまま自分は文字通りどこかにいってしまうんじゃないかって、そう思えたの。……怖かった。自分が自分じゃなくなってしまうような気がして。でも、それ以上にいってみたいという願望はずっと強かったの。それはとても素敵なことのように思えたから。だから、わたしはその瞬間を今か今かと心待ちにしていた。……だけど、結局わたしはいけなかったの。快楽の波は突然すーっと引いてしまい、わたしをその場に置き去りにして消えてしまったの。取り残されたわたしはただ呆然とするより他なくて……。――わたしの初めてのセックスはそんな感じで終わってしまったの……」

「そ、そうなんだ……」

都の告白に、僕は戸惑いながら頷いた。

エッチなマンガやゲームならいざしらず、実際には女性が初体験でいくというのはまずあり得ないという話を聞いたことがある。都の場合もそういうことなのだろうか。

でも、話を聞くかぎり、初めてにしてはかなり感じていたようだし、実際、セックス中の都の表情は苦痛で歪んでいるというよりは、むしろ押し寄せてくる快楽に翻弄され、そのことに喜びを感じているようにも見受けられた。もう少しでいけたんじゃないかと思われるくらいに。

となると、原因は僕にあるのだろうか? 僕が果てるのが早かったがために、都はいけなかったのだろうか?

……そう言われると返す言葉がない。我ながら動き出してから射精するまでの時間が早かったような気がしたし。

い、いや、別に僕が早漏だとかそういうわけではないと思うのだ。ただ、初めてだったせいもありペース配分がわからなくて、最初から飛ばしすぎただけなのだ。800mの距離を200mのペースで走ってしまったという感じだろうか。

それに何ていうか……都の中はことのほか気持ちがよくて、自制するだなんてとてもできなかったのだ。

仕方がなかったんだ。不可抗力なんだ。

……なんか言い訳すればするほど情けない気持ちになっていくけどさ。

「ごめん……」

僕がいたたまれなくなって頭を下げると、都はあわてたように、

「べ、別に誠司君のことを責めているわけじゃないんだよ。それは仕方がないことだと思うんだ。だって、わたしたちって互いに初めてだったわけだからさ」

「…………」

「あ……誠司君、もしかして初めてじゃなかったとか言わないよね? 女と違って、男の人にはそれがはっきりわかるしるしとかってないからさ」

「そ、そんなわけないだろ!」

ジト目で僕を見る都に、たまらず僕は言う。

「そりゃあ僕だって、以前からチャンスさえあればセックスしたいと妄想を膨らませたりはしていたけど、その相手は絶対に都だと信じていた。もし他の女の人といい感じになったとしても――幸いというか何というか、結局そういう事態は訪れなかったけど――、都以外の相手とはセックスはしたくないと思っていたんだ。都じゃなきゃ嫌だったんだ!」

僕が一気にまくし立て、荒くなった息を整えていると、都が顔を真っ赤にしていることに気が付いた。僕も紅潮するのを感じた。……我ながら恥ずかしいこと言ったと思う。

「と、とにかくだ――今日都としたのが紛れもなく僕にとっての初体験だったんだ。それは信じてほしい」

「うん、わかった。……ごめんね、疑ったりして」

「いや……わかってもらえればいいんだけどさ」

「うん……」

二人とも何だか気恥ずかしくて見当違いなところに目をやったり頬をポリポリと掻いたりしていた。

「――で、何の話だったっけ?」

「あ、そうそう――」

僕の言葉で我に返ったのか、都は改まったように言う。

「つまりね、わたしたちはセックスに関しては初心者なわけよ。ゲームで言うならばレベル一ね。そこからレベルアップを図るには、とくかに経験を積んでいくしか方法はないと思うの。だから、その……もっともっとセックスしようって、つまりはそういうことなんだけど……」

最後のほうは恥ずかしさのあまり口の中でもごもごさせるような感じになってしまっていたけど、都の言いたいことはちゃんと伝わった。

正直言って、都の提案は思いの外魅力的に思えた。

再び都の身体を抱きしめたい。何度も何度も繰り返し濃厚なキスをしたい。柔らかな胸を揉みたい。からかわれようが気にせずそのピンク色の乳首にしゃぶりつきたい。都が恥ずかしがってもかまわずヴァギナを襞の一枚一枚までじっくり観察して、指でいじくり回したい。今度はじっくり都の中を味わいたい。いろんな体位をさせてみたい。そして……自分の沸き上がる衝動の全てを都の中に吐き出したい!

そんなことを想像していたら、胸がドキドキしてきた。一刻も早く母さんが言うところの二回戦に突入したいという衝動がわき起こった。今すぐ都とセックスしたい!

……なのに、どうしてもそう言い出すことができずにいた。あと一歩がどうしても踏み出せずに尻込みしていた。――どうしてなんだろう?

思うにそれは、怖いからなんじゃないだろうか。セックスすることを恐れているからなのではないだろうか。

セックスをする前、僕は都に身を任せてほしいと言った。リードするのは男として当然の義務だと思ったから。

……でも、結果はどうだった? 僕一人で気持ちよくなって、一人で絶頂を迎えただけだった。都をいかせることができなかった。快楽の波からおいてけぼりにしてしまった。そのことがとてもふがいなく思えて……。

もう一回やったら今度はうまくいくのか? ……正直言って自信がない。どうやったら都を喜ばせることができるのか、皆目見当が付かないのだ。

今度もうまくいかないのではないか。今度も都をおいてけぼりにして僕一人でいってしまうのではないか。そうしたら、都は僕に愛想をつかしてしまうのではないか。――そんな心配が僕を臆病にさせ、前に進めなくさせていた。

あー、くそっ! どうして僕はこうもヘタレなんだよ。……つくづく自分が嫌になる。

僕がそんな感じで自己嫌悪に陥っているところに、都がそっと手を差し伸べ、僕の頬に触れた。ずっと裸でいたためか、ちょっとひんやりしていたけど、不思議と冷たくはなくて、むしろ優しいぬくもりを感じた。

都は僕をじっと見つめている。それはとても暖かくて、いとおしむような柔らかな光に満ちていた。

「誠司君、わたし思うんだけどさ、セックスって自分以外の他者がいて初めて成立する行為なわけだから、互いに協力しあうことが大切なんじゃないかな。リードしてもらうという名目で一方にだけ負担を強いてしまったり、うまくいかなかった責任を一人に背負わせちゃったりするのはよくないと思う」

「…………」

僕は何も言えなかった。都に、僕の悩みは間違いであると指摘されているように思えて。

「一緒にがんばって、楽しんで、いい気持ちになって……それがセックスなんだと思うんだ。だからね――」

そう言うと、都は拳をギュッと握って力んでみせた。

「今度はわたしもがんばるから」

「……え?」

「さっきは誠司君にされるばっかりで、わたしはただ寝転がっているだけだった。それじゃあ、誠司君にばかり苦労させているようでフェアじゃないよね。だから、今度はわたしもがんばって誠司君を気持ちよくさせてあげたいと思う。もっとがんばってキスしたり、自ら動いてみたり、誠司君のおちんちんを口でしてあげたり……」

「み、都……」

その大胆な決意に、僕はたじたじとなる。

「そうだ。誠司君がオナニーする時に想像しているようなこともさせてあげるよ」

「いや、それは……」

想像するだけなら自由だろうと思い、僕は自慰する際、頭の中の都に口ではとても言えないようなこともさせていたりするわけで、それを実際に都に行うのは忍びない……というか絶対にしてはならないと思う。人として。

「だからね、誠司君――」

都はニッコリと笑うと、はっきりとした声でこう言った。

「わたしと一緒に、いこう」

――その瞬間、僕の中で理性とか見栄とか、くだらない男のプライドとかいうような鎖が勢いよく弾け飛んだ。

僕の頬に触れていた都の手を引っ張った。都の身体は「ひゃっ!?」という悲鳴と共に僕の方に倒れ込んできた。僕の胸の上に都の胸が落ち、ぽよんと弾んだ。すぐ目の前に都の顔がある。据え膳とばかりに僕は都の唇に口づけた。あまりに不意だったので、都の目は見開かれたままだった。

しばらくして、僕は唇を離した。そして、まだ目を丸くしている都に言った。

「僕も、都と一緒にいきたい」

「誠司君……」

しばらくは何を言われたのかわからないかのように呆然としていたけど、やがて意味を悟ったのか都は嬉しそうに微笑んだ。それは満ち足りた、とても幸せそうな笑顔だった。

……だけど、不意にその表情が曇ってしまう。気まずそうに目を伏せる。いったいどうしたんだろう?

「ごめんね、催促するようなこと言っちゃって。……迷惑じゃなかった?」

さっき僕が躊躇したのを気にしているのか、すまなそうにそう言う都の頭に僕は手を伸ばした。指で髪の毛をさらさらと梳いてやり、ついで頭をわしゃわしゃと少し乱暴に撫でてやった。

「何言っているんだよ。迷惑なわけないだろ。言ったろ、『都と一緒にいきたい』って。嫌々でそんな恥ずかしいこと言えるもんか」

「そ、そうだよね……。でも、大丈夫なの? 疲れてたりしていない? さっきは誠司君、その……すごくがんばったから」

「なんだ。そんなこと心配しているのか。大丈夫だよ。僕は陸上やっているから持久力はあるほうだし、それに――」

僕は都の腹の辺りを手で押した。都の上体が少し後ろに傾く。

「ひゃっ!?」

都は短い悲鳴をあげた。身体がビクリと跳ね上がる。恐る恐る後ろを振り向く。都の身体が邪魔になって僕からは見ることができないけど、都の目にはきっと先ほど腰骨に当たった硬い物体が映っていることだろう。

「……すごい、また大きくなってるよ」

都の息を呑む音がした。再び僕のほうを振り返ると、呆れたような顔をしていた。

「誠司君ってば、スケベなんだから」

「しょうがないだろ……」

なんせ、ここからだと都の小振りだけど形のいい胸を見上げる格好となり絶景であるし、それに都が身じろぎする度に柔らかな恥毛がさわさわと腹部を刺激するわけで……男だったらこれで勃たないわけがないじゃないか。

「僕から見れば、都のほうがよっぽどいやらしいと思うけどな。なんせ、相手を突き飛ばして上に馬乗りになった挙げ句、『セックスしよ?』ってせがんでくるんだもんなぁ」

僕が意地悪くそう言うと、都は顔を真っ赤にしてうなだれてしまう。

「ご、ごめんね……。どうしてそんな大胆な行動をとってしまったのか自分でも信じられないんだけど、何ていうか気持ちが高ぶっちゃって、つい……」

消え入りそうな声で都は言う。

「かまわないよ、別に。むしろ嬉しいくらいさ。女性のほうからおねだりしてくるというシチュエーションには、ちょっとぐっとくるものがあるからね」

僕がなだめるように都の頬に手を当てると、都はじゃれるように顔をすり寄せてきた。まるで人なつっこい子猫のようだ。

「でも、正直少し驚いたかな。奥手で控え目な都がこんな大胆なことをするだなんてさ。――うまく説明できないけど……今日の都はどこかいつもとは違うって感じがする」

「いつもと違う、か……。――そうかもしれないね。きっとわたしは、これまでとはまったく違う人間に変わってしまったんだと思うんだ」

「え?」

首を傾げる僕に、都は笑って言った。

「だってわたし、女になったんだもん」

それはいつものかわいい笑顔。……だけど、どこか違う。いつもの頼りなげな様子はまるでなく、余裕すら感じられた。それはまさに、大人の女性の微笑みだった。

「…………」

そんな都の姿に、僕はしばし呆然と見とれてしまった。

都はそれを呆れていると勘違いしたのか、

「あ……わたし、今変なこと言ったね。こんなわたしが女だってさ。ちゃんちゃらおかしいよね。あはは……。……ごめん、忘れて」

顔を赤らめてしなだれるその姿はいつもの都そのものだった。そんな様子がとても微笑ましく思えたけど、僕は笑わずにこう答えた。

「おかしくなんてないよ。だって、僕だって男になったんだからね。都と同じだよ」

僕は笑った。自分ではわからないけど、都と同じように大人の余裕を感じさせる笑顔ができているだろうか?

都は一瞬きょとんとしたものの、すぐに嬉しそうに微笑み返すと僕に抱きついてきた。

そして、僕らは今日何度目かの大人のキスを交わす。

僕らは変わってしまう。もう元の関係には戻ることはできない。それはとても寂しくて、切ないこと……。

でも、いいんだ。

変わった先にはきっと新たな世界が広がっているはずだから。そこはきっとこれまでとは違う魅力があって、さらなる楽しみや喜びに満ちあふれているはずだから。

それに、都と一緒なら何も怖いものはないはずだから。

だから、大丈夫。

さあ、一緒にいこう――

「…………」

「…………」

長い長いキスをし終えた僕らは、そのまま黙って見つめ合っていた。顔が紅潮し、心臓がドキドキなって、今にも気が変になりそうだったけど、でもそこから逃れたいとは考えず、ただひたすら相手に熱いまなざし(これがラブラブビームなのか?)を注いでいた。

ずっとこのままでいたくもあったけれど、そうもいってられない。先に進まなければ。

「さてと――」

僕はわざとらしく咳払いして言った。

「そろそろ二回戦を始めようか?」

「二回戦?」

都が小首を傾げる。

「あ、いや……つまり、希望通りセックスしようかって……そういうこと」

「う、うん……」

都はぎこちなく頷くと、僕の上から降りた。すぐ横にちょこんと正座する。そして、おずおずと小さく手を挙げた。

「あの……リクエストしてもいいかな?」

「リクエスト?」

「うん。――あ、あのね……さっき誠司君に胸を触られた時とても気持ちよかったの。だから……もう一回それをやってほしいな」

ためらいがちにそう言うと、都は胸を反らして僕の前に突き出した。顔は恥ずかしそうにそっぽ向けているくせに、胸は誇らしげにぴんっと佇立していた。

「うん、わかった」

僕はそう答えると、ひとつ小さく息を呑んでからゆっくりと都の胸に手を伸ばした。

 

こうして、この夜はまだまだ続くのだけど――僕らの初体験にまつわる話はこれにておしまい。


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