始まりの予感
第三話 喜びと哀しみと
雨は一晩中降り続いた。
それはまさに桶をひっくり返したような有様だった。
人に出来ることなど、ただ嵐が通り過ぎるのを祈ることだけだった。・
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そして、嵐が過ぎ去った朝、空は今までのことが嘘のように、どこまでも青く澄み渡っていた。
俺と一輔は、被害の状況を確かめるため、嵐が過ぎ去ったばかりの領内へと出かけて行った。頼人 「それにしても、まあよくもあれだけ降ってくれたもんだな」
俺は苦笑いを浮かべた。
道はどこもぬかるみ、まるで田んぼのようだった。一輔 「そうでございますな。報告によりますと、どうやら堤防が決壊した様子はないみたいです。ただ、堤防の見回りをしていた者が、数人川に流され行方が分からないという報告がございます。今は、これだけの被害で済んだことを素直に喜びましょう。余り気にするのは体に良くありませんから」
頼人 「ああ、分かってる。そう心配するな。よし、それではもっと下流の方の様子を見に行くとするか」
俺と一輔は、下流に向け馬を走らせた。
通り過ぎる村々では、嵐の後始末に、皆忙しそうにしていた。
しかし、何事もなく嵐が過ぎ去ったことで、どの顔も嬉しそうだった。
俺がしてきたことは無駄ではなかったな。
俺はそう思いながら、まだ堤防の工事が途中だった里へと馬を走らせた。・
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頼人 「どうやらここも何事もなく済んだみたいだな」
川の水位は、何とか堤防のある高さまでで、収まってくれていた。
一輔 「ここの工事が完成すれば、治水工事もほぼ終わりでしたから、何よりです」
俺と一輔は、顔を見合わせ安堵の表情をお互いに浮かべた。
本当に良かった、何事もなくて・・・俺はほっと胸を灘下ろした。頼人 「よし、堤防に被害が出なかったことは確認できた。後は屋敷で細かい被害報告の確認をするか」
一輔 「そうですな。どうやら暫く忙しくなりそうです」
そう言って、一輔が困ったように溜息をつく。しかしその顔は、どう見ても困っているようには見えなかった。
そして、俺と一輔が里の堤防を後にしようとしたとき。村人 「おっーーーい、こっちに人が流れ着いてるぞぉーーーっ」
村人 「おいしっかりしろ大丈夫かっ!・・・ちくしょうダメだ・・・もう息がねえ・・・」
村の男の叫び声が、俺の耳に飛び込んできた。
その声に、俺は振り返ってみる。
そこには男が一人・・・川岸に打ち上げられていた。
それはきっと、一輔の報告にあった行方不明者の一人だろう。頼人 「すまん・・・」
俺はそう呟いていた。
一輔 「頼人殿の所為ではございません。せめて、手厚く葬ってあげましょう」
一輔が気を遣ってくれる。
頼人 「・・・そうだな」
俺は頷いた。
そして、二人でその者たちの側に近づいて行ったとき・・・。村人 「運がなかったな・・・前の大雨の時にここへ流れ着いた女の子は、何とか助かったというのに・・・」
・・・なんだと!?
俺は耳を疑った。
いま・・・何と言った・・・女の子・・・助かった・・・?
俺は考えるよりも先に駆け出していた。
そして、村人に掴みかかり。頼人 「今の話は本当なのか!! それで助かったという女の子の特徴は!! いや、それよりもその女の子は今どこにいるのだ!! 早く答えろ!!」
俺は村人を力の限り激しく揺さぶっていた。
村人 「く、苦しいです・・・喋りますから、その手をお放しください」
何か言っているようだったが今の俺には何も聞こえていなかった。
一輔 「頼人殿! 落ち着いてください! そんなに首を絞めては、その者が死んでしまいます!」
そんな俺を、一輔が力ずくで止めに入ってきた。
それでようやく俺は我に返り、掴んでいた手を離した。村人 「げほっ、げほっ」
俺から解放された村人が、苦しそうに咳き込んでいる。
俺は一刻も早く話を聞きたかったが、村人が落ち着いてくるのを待った。
もどかしい時間が流れる。
握った拳に汗が滲み出していた。早く早く早く・・・。・
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暫くして、村人が落ちついてきたころ、俺はもう一度落ち付いて聞いてみた。
そして、この村人の話によれば、二年ほど前・・・そう、あの嵐の日の翌日、今のこの男のように、ここに人が流れ着いていたということだった。
それも女の子が・・・。
里の者が、すぐにそれに気が付き、急いで川から助け出した。
すると、もう死んでいるとばかり思っていた女の子に、まだ微かに息があったということ。
それに驚いた村人が、慌ててその女の子を里へと運び込んだという話だった。頼人 「それで、その女の子の名前は? 巫女装束を身に着けていなかったか?」
俺は落ち付いて質問を繰り返す。
村人 「うーん、私は実際に見たわけではなく、そう話に聞いただけなんで、そこまでは分かりません。すみませんお役に立てなくて」
村人が申し訳なさそうに頭を下げる。
頼人 「そうか・・・それで、その女の子が今どこにいるか知っているのか?」
村人 「はい、知っております。あそこに鳥居が見えませんか?」
そう言って村人が指差した先には、確かに鳥居が見える。
村人 「あそこで今は、療養しているということです」
頼人 「分かった、ありがとう。時間をとらせてすまなかったな」
そういい終わらないうちに俺はもう駆け出していた。
あそこにもしかしたら狭霧がいるかもしれない。
俺の胸は高鳴っていた。もしかしたら、もしかしたら狭霧は生きているかもしれない。
側に繋いでいた馬に跨ると、俺は全力で馬を走らせた。
一輔も必死に俺の後に付いてくる。
馬は、俺の気持ちに答えるかのように、まだぬかるむあぜ道をものともせず、駆け抜けてくれた。一輔 「・・・療養・・・」
途中一輔が、不安そうな顔でそう呟いていたようだったが、俺はそれを気にすることはなかった。
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神社の鳥居の所まで来ると、俺と一輔は馬を降りた。
この先は石段になっている。
石段の先を見上げてみると、そこにはこの里の社殿が見えた。頼人 「あそこに狭霧がいるかもしれない・・・よし」
俺は焦る気持ちを必死で押さえつけながら、一歩一歩確かめるように、石段を上がっていった。
一輔も俺の後に黙って続く。
一輔は何故か、怪訝な表情を浮かべていたが、今の俺にはそれどころではなかった。
そして、石段を登りきり境内へと足を踏み入れた。
俺はゆっくりと辺りを見回してみた。
そして、俺は見つけた。
社殿の縁側に腰掛け、じっと空を見つめている女の子の姿を・・・。
来ている服は巫女装束ではなく、よくある麻の着物だったが、見間違うはずがない、忘れるはずなどあるはずがない、あれは確かに、確かに狭霧だ。
俺はゆっくりと、狭霧の所へと歩き出した。
柄にもなく足が震えていた。
俺が踏む玉砂利の音に気づいて、狭霧がこっちに振り向いてくる。
視線が交わる。
もうすぐそこに狭霧がいる。
狭霧が俺を見つめている。頼人 「狭霧・・・」
俺は狭霧を抱きしめてやろうと、両手を伸ばした。
そして、狭霧の次の言葉に、俺は再び闇の中へと突き落とされることになった。狭霧 「あの・・・どちらさまでございますか? 何処かで、お会いしたことがあるのでしょうか?」
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神主 「もう、二年半にはなりますかな・・・」
神主が、庭に視線を向けながら話し始める。
俺と一輔は、今は社殿の中で、神主に事の成り行きを説明して貰っていた。
俺は、ただ静かに神主の話に耳を傾けていた。神主 「ここに運び込まれた時は、確かにまだ息はしていました。ですが、その後高い熱を出して五日ほど生死の境を彷徨ったのです。私は必死に看病を続けました。ですが、正直もう助からないだろうと諦めていた部分が何処かにあったのも事実でございます。それほどひどい熱だったのです。その間ずっと、久世様の名前を呼んでございました。その時もし、頼人様ではなく、久世様と一言でも言って下さっていれば、すぐにお知らせ出来たのですが、まさか領主様の知り合いとは思いもしませんでしたので、申し訳ございませんでした」
神主はそこで済まなそうに一礼をしてから、話を続けた。
神主 「そして五日後、何とか熱が収まり、私ども社殿の者はほっとしたのですが、今度はなかなか目を覚ます様子がありませんでした。ようやく目を覚ましたのは、それからさらに三日ほど経ってからでした。そしてその時には・・・」
次の言葉をためらっている神主。
暫く沈黙が社殿を支配した。一輔 「・・・何もかも、忘れていたと言うことで、宜しいですか?」
一輔が気遣って、代わりに言葉を繋いだ。
神主 「・・・そうでございます」
神主はまた、申し訳なさそうに頭を下げる。
頼人 「しかし、名前はどうなのだ? 神主殿も、狭霧も知っていたではないか?」
俺は神主に詰め寄る。
神主 「それは、熱に魘されているときに、うわ言で自分の名前を言っていたからでございます。あの子は目を覚ましたとき、自分の名前さえ、忘れていたのです・・・」
頼人 「そんなことが・・・実在するのか・・・一輔はこうなることを予想していたのか?」
俺はようやく、なぜあの時一輔が怪訝そうな顔をしていたのかが分かった。
一輔は少なからず狭霧の身に何かあることを察して心配していたのだ。一輔 「あの村人が、”療養”と申していたので、何かあるだろうとは予想していました。しかし、まさか記憶がなくなっているとは思いもしてませんでした」
頼人 「・・・そうか」
そして、また沈黙が辺りを支配した。
狭霧は俺の顔を見ても、子供のころから世話になっていた一輔の顔を見ても、何も思い出せないと言った。
俺の胸は、狭霧が生きていたという喜びと、現実の哀しみに、今にも張り裂けそうだった。
俺は、社殿の縁側に座っている狭霧へと視線を向けてみた。
狭霧はただ、ぼんやりと夏の空を眩しそうに見上げているだけだった。それはまるで、何も知らない幼子のようだった・・・。
つづく